人間の強靭な精神を解放した大震災
「津波にぜんぶ持っていかれても、僕は海を憎んでいない。日頃から海に食わせてもらっているんだから。今も海に出ると、いつも自分の命が喜んでいるのがわかります」
そう語ったのは、南三陸町歌津伊里前川の三〇歳の漁師、千葉拓さんだった。
千葉家は、牡蠣、ワカメなどの養殖のかたわら、伊里前川でシロウオの珍しい漁を営んできた。この漁は、川に幾何学状に積み上げた「ザワ」と呼ばれる石垣の隅にシロウオを追い込んで捕獲する。全国で数カ所しかやっていない漁で、条件が整ったきれいな川でしかとれないという。
シロウオは近年、日本では高級食材として扱われており、生きたままポン酢などで食べる踊り食いは格別の味。環境省の汽水・淡水魚類レッドリストで「絶滅危惧・類(VU)」に指定されるほど希少な存在だ。減少の原因は、川や海の水質汚染、河口堰設置やコンクリート護岸など河川改修による産卵場消失と考えられている。
自然を活かすも殺すも、すべては私たち人間次第なのだ。
千葉さんは、これ以上自然を壊して海を貧しくするのはやめようと、震災後、海と陸を隔てる巨大防潮堤の建設に反対してきた。人間に恵みを与えてくれる母なる優しい自然、人間の命を奪い去ることもある父なる恐ろしい自然。ふたつはセット、どちらかだけ人間の都合よく切り取ることはできない。津波の脅威から逃れようと海と陸を分断してしまえば、結果として海の恵みも減ってしまう。事実、奥尻島の津波被害では、復興の過程で大きな防潮堤をつくったが、海の生態系が変わり、漁獲高も減り、漁師の減少は震災前より加速している。
千葉さんはまた、震災後の被災者たちは目が輝いていたと驚くことを言ってのけた。
「震災を体験して、現代社会に生きる人間はどう変わったか? 僕は震災で家も船も現代社会のしがらみも価値観もなくなった世界を体験してしまった。その世界は電気も水道もガスも金もない世界だった。光と熱は木を燃やせば電気以上に暖かい場を提供してくれた。水は森が創り出す湧き水が川となり無限の情けを僕らに与えてくれた。金は紙切れになった」
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