人はひとりで生きていくことなど原理的にありえず、社会的な文脈においてのみ「個人」となる。だからこそアドラー心理学では、個人としての「自立」と、社会における「協調」とを大きな目標として掲げる。では、どうすればそれらの目標を達成できるのか? アドラーはここで、「仕事」「交友」「愛」という3つのタスクを乗り越えよ、と語る。人が生きていく上で直面せざるをえない、対人関係のタスクを。青年はまだ、その真意を測りかねていた。
人生の嘘から脱却するために
青年 ああ、また頭が混乱してきましたよ。先生はいいましたね。わたしが他者を「敵」だと見なし、「仲間」だと思えないのは、人生のタスクから逃げているせいだと。あれは結局どういう意味なのです?
哲人 たとえば仮に、あなたがAという人物のことを嫌っているとしましょう。なぜなら、Aさんには許しがたい欠点があるからだ、と。
青年 ふふふ、嫌いな人間でしたら、何人でも候補が浮かびますよ。
哲人 しかしそれは、Aさんの欠点が許せないから、嫌っているのではありません。あなたには「Aさんのことを嫌いになる」という目的が先にあって、その目的にかなった欠点をあとから見つけ出しているのです。
青年 そんな馬鹿な! なんのために!?
哲人 Aさんとの対人関係を回避するためです。
青年 いやはや、いくらなんでもそれはありえません! どう考えたって順番が逆でしょうに。嫌なことをされたから、嫌いになった。でなければ嫌いになる理由がありません!
哲人 いいえ、違います。たとえば恋愛関係にあった人と別れるときのことを思い出すと、わかりやすいのではないでしょうか。恋人や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようなことがあります。食事の仕方が気に食わないとか、部屋にいるときのだらしない姿に嫌悪感を抱くとか、あるいは寝息でさえも腹が立つとか。つい数ヶ月前まではなんとも思っていなかったにもかかわらず、です。
青年 ……ええ、心当たりはありますね。
哲人 これはその人がどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料を探し回っているから、そう感じるのです。相手はなにも変わっていません。自分の「目的」が変わっただけです。
いいですか、人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる、きわめて身勝手な生き物なのです。たとえ相手が聖人君子のような人であったとしても、嫌うべき理由など簡単に発見できます。だからこそ、世界はいつでも危険なところになりうるし、あらゆる他者を「敵」と見なすことも可能なのです。
青年 では、わたしは人生のタスクを回避するため、もっといえば対人関係を回避するため、ただそれだけのために他者の欠点をでっち上げているのだと? そして他者を「敵」と思うことで逃げているのだと?
哲人 そうなります。アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。
青年 ……。
哲人 厳しい言葉でしょう。いま自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。先ほどお話しした赤面症の女学生も、みな同じです。自分に嘘をつき、また周囲の人々にも嘘をついている。突き詰めて考えると、かなり厳しい言葉です。
青年 しかし、なぜそれを嘘だと断じることができるのです!? わたしがどんな人に囲まれ、どんな人生を過ごしてきたのか、先生はなにもご存じないでしょう!
哲人 ええ、わたしはあなたの過去について、なにも知りません。ご両親のことも、お兄さんのことも。ただ、わたしはひとつだけ知っています。
青年 なにを!?
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