四
大隈の行動は早い。思い立ったらすぐに行動に移す。何事も後回しにすると、情熱が薄れてきて行動に移さない理由を様々に考えてしまうのが人間だからだ。
翌朝、大隈は丸山から直接、東築町に向かった。
——ここがそうか。
東築町に着くと、北風家はすぐに分かった。
さすがに豪商だけあり、長崎の出店といっても、店の間口は優に十間(約十八メートル)はある。
店の前で打ち水をしていた小僧に案内を請うと、簡単に中に通してくれた。
「佐賀藩のお客様でーす」と小僧が奥に声を掛けると、番頭が出てきて「何用で」と尋ねてきた。大隈が来訪の目的を告げると、番頭は「しばしお待ちを」と言って奥に戻っていった。
——北風家か。
畿内を中心に手広く商いをしていた北風家は、江戸時代には主要七家に分かれるほど繁栄し、とくに廻船業を主業とした宗家は、「瀬戸内海を支配する」と言われるほどの隆盛を極めていた。この頃は幕府御用達の廻船問屋という表看板の裏で、尊皇攘夷派の浪人たちを助けることもしていた。要は二股掛けていたのだ。
「お待たせしました。私が北風正造です」
奥から姿を現したのは主人の正造だった。正造は年の頃四十後半で、大家の主にふさわしい落ち着いた物腰の人物だった。
大隈が名乗り、立場を説明すると、奥の間に通してくれた。
「たいへんな仕事をお引き受けなさいましたね」
正造が豪奢な模様の銀煙管に国分(こくぶ)煙草らしき高級種を詰める。大隈は気後れしそうで、自分の煙管を出すのをためらった。
「たいへんとは、武器弾薬の買い付けの仕事のことですか」
「いや」と言うと、正造は火打箱を引き寄せ、小気味よい手つきで火打石を打った。
「武器弾薬や艦船を購入するのは、誰でもできます。外国人は売りたくてしょうがないわけですから」
「では、何がたいへんなんですか」
「支払いですよ」
正造が紫煙を吐き出す。
「なるほど。支払う金がなければ何も買えませんからね」
「その通りです。土佐のお方を除いてね」
「土佐のお方——」
「ああ、ご存じありませんか。もう土佐に帰国された岩崎弥太郎という御仁です」
大隈は戸惑った。
「岩崎殿は存じ上げておりますが、支払うあてがないのに、高価なものを購入していたんですか」
「長崎では知らぬ者がいないほどの話です。そのうち外国人に殺されて死骸が長崎湾に浮かぶんじゃないかと噂されていました」
「それはまた物騒な話ですが、どういうことですか」
正造が呆れたように首を振りながら言う。
「どうもこうもありゃしません。土佐藩は十八万両もの借金を抱え、実質的に破綻しています」
一両を現代価値に換算すると、おおよそ二十万円になる。つまり十八万両は三百六十億円という途方もない額になる。
「破綻しているとは、つまり支払いの目途が立っていないのですか」
「そうです。諸藩は今後の混乱に備え、武器弾薬や艦船を購入したい。しかし佐賀や薩摩のように裕福な藩を除けば、諸藩は支払う金がない。土佐も特産品と言えば樟脳、鰹節、鯨油くらいしかなく台所事情は苦しい。しかし岩崎殿は藩命を受けて闇雲に買い付けを行っていた。しかも支払う方策など考えず、外国商人たちを遊廓漬けにして説得してしまうんです。月払いで払うと言って先に商品を納入させ、支払いを催促すると、それなら返品すると言って息巻いたり、わざと月払いを滞らせて借金を踏み倒すぞと脅し、代金を大幅に値切ったり、無茶苦茶なやり方をしていました」
正造が煙草の灰をポンと落とすと、再び国分を詰め始めた。大隈は煙草が吸いたかったが、意地になって我慢していた。
「そんなことが、ここではまかり通っていたのですか」
「まかり通るも何も、武器弾薬や艦船は、購入したらすぐに土佐に送ってしまうので差し押さえられなかったんです」
「しかし、そんな強引な手は何度も使えるものじゃないでしょう」
「さすがに外国人の間でも、『土佐の岩崎』の悪名は知れわたりましたが、欧米諸国というのは互いに反目しており、横のつながりがないので、次から次にやってくる外国をだましていけたのです」
——畏れ入ったな。
大隈は遊廓で女郎を侍らせ、悠然と飲んでいた岩崎の度胸に啞然とした。
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