第一講 あなたはなぜ文章を書くのか?

みなさんこんにちは、ライターの古賀史健です。本連載は、拙著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』からそのエッセンスを抜き出した、ダイジェスト版の文章講義になります。タイトルは、大好きな経済入門書『経済ってそういうことだったのか会議』(佐藤雅彦・竹中平蔵/日本経済新聞出版社)から拝借させていただきました。文章について、ぼくもあんなにやさしくするどい話ができればなあと願いつつ、最大級の敬意をこめて。

 それではさっそくはじめましょう。
 はじめての講義となる今回、どんな話からスタートするべきなのか、大いに悩みました。いきなりテクニック論に入るのも味気ないし、ぼんやりした総論を語ってもおもしろくない。とはいえ初回だし、なるべくガイダンス的な内容にしていきたい。やりたいことと、やるべきこと。正解なんてなさそうです。
 そこで迷ったときの常套手段、「そもそも論」からはじめることにします。

 そもそもあなたは、なぜ文章を書くのでしょう?
 どうしてこんなまどろっこしい手段を使って、しかもそれなりの時間と労力を費やして、わざわざ文章を書くのでしょう?
 原因を考えるのではなく、目的を考えてください。たとえば企画書を書くのでも「上司に書けと言われたから書く」なんて答えはどうでもよくて、「企画書を書くことによって、自分はなにがしたいのか?」を考えてほしいのです。

 ぼくの答えははっきりしています。

文章を書く目的、それは「読者を動かすこと」です。
 自分の意見や、自分が有益だと思った情報を文章にして伝えること。そして他者の心を動かし、考えを動かし、ひいては行動までも動かしてしまうこと。
 それが文章の目的であり、書くこととは「他者を動かさんとする力の行使」なのだと、ぼくは考えています。

伝えるだけでは文章じゃない

 具体的にみていきましょう。

 たとえば、「銀座のカフェでおいしいサンドイッチを食べた」というブログ記事を書く。
 このとき、ただ食べたという事実を伝えることで終わってしまっては、いい文章とは言えません。そうではなく、読者にサンドイッチの映像と味をイメージさせ、「自分もその店に行きたい!」と思わせる。そして実際に時間とお金をかけてまで、その店に足を運ばせる。それが文章の目的なのです。なぜなら、おいしいサンドイッチを食べた喜びと感動をシェアしたい、という動機によって書かれているのですから。
 そう、文章によって他者を動かさんとする背景には、シェアへの願望があるんですね。この考え、この感動、この喜び、この悲しみを、あの人やこの人やほかのみんなに伝え、シェアしたい。そんな社会的生きものなのです、ぼくたちは。

 さてさて、読者を動かそうとすることには、当然反発も出てきます。
 物理の授業で習った「作用・反作用の法則」を思い出してください。壁を10の力で押したら、同じ10の力で押し返される、というあの法則ですね。
 あなたが文章によって読者を動かそうとするとき、圧力をかけられた読者はかならず反発します。これは避けようのない反作用みたいなものです。たとえその文章にたくさんの「なるほど!」が書いてあったとしても、読者はたったひとつの「それはおかしい!」に目を向け、反発してしまいます。
 それでは、読者の反発を最小限にとどめ、最終的に読者を動かすにはどうすればいいのでしょうか?
 もっとも簡単で確実な方法は「論理的であること」です。

文章は不自由すぎる伝達ツール

 なぜ、文章に論理が必要なのか。
 普段、友達とおしゃべりをするとき、ぼくたちはことさら論理的であろうとはしませんね。思いつくままにしゃべり、話題をあちこちに飛ばし、最終的には「とにかくスゲーおもしろいんだよ!」などと、知性のかけらもない言葉で相手の同意を取りつけたりしています。ぼくだって、普段のおしゃべりはそうです。「ガーッと集めてバーッとやっちゃえば全然オッケーだよ」みたいな日本語、平気で使います。

 というのも、おしゃべりをするときのぼくらって「言葉以外」の要素を使ってコミュニケーションをとっているんですね。

 つまり、顔の表情、声の高さやテンポ、視線、身振り手振りなどを駆使しつつ、おしゃべりをしている。足りない言葉をサポートする道具がたくさんある。だからこそ、いい加減なおしゃべりでも自分の気持ちを伝えることができるし、相手を納得させられるのです。こうした言葉以外の要素のことを、専門的には「ノンバーバル(非言語的)コミュニケーション」といいます。

 一方、文章はどうでしょう。
 お互いの顔や身振りが見えないのはもちろん、どんな声なのかも聞こえません。笑うことも怒鳴ることもできず、沈黙することすらできない。普段のおしゃべりと比べたとき、意思の伝達に使えるカードが圧倒的に少ない(というか言葉しかない)わけです。
 そこで先人たちは、感情を伝える補助手段をたくさん発明しました。
 たとえば感嘆符の「!」は驚きや強調を表す記号として使われていますし、疑問符の「?」は疑問を表す記号ですね。これらはいずれも、本来ノンバーバル・コミュニケーションによって伝えていた感情になります。あるいは日本語の場合、文末に(笑)をつけることによって話者が笑っていることを表したりもします。さらには携帯電話の絵文字だって、感情表現のツールでしょう。文章とは、これら急ごしらえの記号が必要なほど、感情と馴染みにくいツールであり、おしゃべりの延長にはなりえない存在なのです。

 そこでぼくは断言します。だからこそ論理なのだ、と。
 でたらめな文章に感嘆符を100個つけても読者は動かない。むしろ文章だけの力で読者を説得し、同意を取りつけなければならない。そこには、かならず論理が必要になります。「おもしろい文章」や「うまい文章」は、論理をクリアした先にあるのだと考えましょう。

論理という名のチェーンタイヤを

 では、今回の結論です。
 言葉という「たったひとつの武器」を使って他者を動かそうとするとき、そこには頑強な論理が必要になります。論理なき文章など、氷上を走る自動車のようなもの。どれほど美しいレトリックを散りばめていようと、読者を動かすことはできません。読者を動かすには、論理という名のチェーンタイヤが必要なのです。

 作文の授業で「話すように書きなさい」と言われたことがあるかと思いますが、冗談じゃねえぜ、と唾を吐きかけましょう。「ガーッと集めてバーッとやっちゃえば全然オッケー」なんて文章は、全然オッケーじゃないのです。

 苦しまぎれにはじめた「なぜ書くのか?」のそもそも論から、いい具合に話を進めることができました。ここまでのポイントをまとめておきましょう。

・文章の目的は「読者を動かすこと」にある
・圧力をかけられた読者は、ほぼ無条件に反発する
・文字しか使えない文章は、感情を伝えるのがむずかしい
・読者の反発を防ぐには、論理で足場を固めるしかない

 ということで次回は、今回の話をベースに「どうすれば論理的な文章が書けるのか?」について、そのシンプルな原則をお話ししたいと思います。ほんとにシンプル、びっくりするほど簡単ですよ。
 ではまた来週、この場所で!

Photo: Lecture Lecture / cogdog,Smile / 33284937@N04

本講義の内容を、より詳しく語り尽くした本がこちらになります。
よろしければご一読を。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書) 20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)
古賀 史健
講談社


ジセダイ by 星海社新書

この連載について

文章ってそういうことだったのか講義

古賀史健

「話せるのに書けない!」を解消してくれる新書として話題となった『20歳の自分に受けさせたい文章講義』。著者の古賀史健さんが、cakes読者のために、そのエッセンスを抜き出したダイジェスト版の文章講義をお届けします。

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コメント

satsuki_ka 読者を動かすには、論理という名のチェーンタイヤが必要、とのこと。 第二講が気になります。 6ヶ月前 replyretweetfavorite

yuri125125125 確かになぁ( ´∀`) 約4年前 replyretweetfavorite