文章修行の基本は、制限時間を決めて行なう練習だ。十分でも二十分でも一時間でもいい。それはあなた次第。最初は短い時間から始めて、一週間したら時間を延ばそうという人もいるだろうし、最初から思い切って一時間とる人もいるだろう。時間の長さはたいして問題じゃない。たいせつなのは、何分、何時間であれ、自分が決めた練習時間のあいだは完全に没頭することだ。
次に、書く際のルールを挙げよう。
1.手を動かしつづける(手をとめて書いた文章を読み返さないこと。時間の無駄だし、なによりもそれは書く行為をコントロールすることになるからだ)。
2.書いたものを消さない(それでは書きながら編集していることになる。たとえ自分の文章が不本意なものでも、そのままにしておく)。
3.綴りや、句読点、文法などを気にしない(文章のレイアウトも気にする必要はない)。
4.コントロールをゆるめる。
5.考えない。論理的にならない。
6.急所を攻める(書いている最中に、むき出しのなにかこわいものが心に浮かんできたら、まっすぐそれに飛びつくこと。そこにはきっとエネルギーがたくさん潜んでいる)。
以上のことはぜったい守ってほしい。というのも、この練習の目的は、じゃまなものを焼き払って“第一の思考”——エネルギーがまだ世間的な礼儀や内なる検閲官によってじゃまされていない場所——にたどり着くこと、言いかえれば、こう見るべきだ、感じるべきだと考えていることではなく、実際に自分の心が見て感じることを書くことにあるからだ。ものを書くことは、自分の心の奇妙な癖をとらえるまたとないチャンスだ。むき出しの思考のぎざぎざした縁を探索しよう。ニンジンをおろすように、紙の上にあなたの意識という色とりどりのコールスロー〔キャベツの千切りサラダ〕をぶちまけよう。
第一の思考には途方もないエネルギーがある。第一の思考は、心がなにかに接してパッとひらめくときに現れるものだ。しかし、たいてい内なる検閲官がそれを押しつぶしてしまい、私たちは第二、第三の思考の領域、思考についての思考の領域で生きている。最初の新鮮なひらめきからは二倍も三倍も遠ざかったところで生きているのだ。たとえば、「私は喉からヒナギクを切り取った」という文句がとつぜん心に浮かんできたとしよう。すると、1+1=2の論理や、礼儀正しさ、恐れ、粗野なものに対する当惑などを仕込まれた私の第二の思考はこう言う。「ばかばかしい。自殺してるみたいじゃない。喉をかき切るところなんか人に見せちゃいけない。どうかしたんじゃないかと人に思われるわ」。こうして検閲官の手に思考を委ねてしまうと、こんどはこんなふうに書くことになるだろう。「喉が少し痛んだので、私はなにも言わなかった」。正確、そして退屈だ。
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