足りないところを無理に補う必要はない
そうやって見つかった足りないところを、今度はどうしたらいいのだろう?
そんな問いが出てくるかもしれませんね。
私は、無理して補う必要はないと思います。
やはり、気づいたら補いたくなるとは思うので、そうしたいなら、直す努力はしていいと思います。でも無理する必要はないのです。
足りないところを埋めようとしないこと、完璧を望まないことが、傲慢さをなくすことにもなるし、そのまま自分の人間らしさにもなっているわけですから。
完璧を目指したら、人間らしさから遠ざかってしまいます。
自分の弱さに気づけたら、他者の痛みに対しても配慮できますよね。「おれにもこんなところがあるんだから、しょうがないよな」と思えますよね。だから、変える必要はないと思います。
弱いところを変えたくなったら、それが「成長するチャンスなんだ」と思えるなら変えて、成長すればいいのです。
でも、自分の弱さにバーンとぶつかって「そうか、おれも弱いんだ」と思ったら、もうそれだけで十分だと思います。そう思えることがラッキーなのですからね。
たぶん、毎回、同じことにぶつかって、同じことに気づくのです。
なぜなら、それがその人らしさだからです。
それを改善しようと思ったら成長できます。成長はするけれど、人間だからまた同じ間違いをします。何度も言いますが、それが人間らしさであり、弱さであり、愛らしさ、愛おしさなのです。だから、それでいいと思います。
私も、毎回同じことをノートに書いて、気づいて、喜んで、また同じことにぶつかる、その繰り返しです。でも落ち込んだりしないで、「私ってかわいらしい」「これが私らしさか」と、自分に言っています。
自分の弱さを否定しないことです。弱さはラッキーで、人間らしさだと思うんです。人間らしいから愛おしいのです。この法則は絶対に壊してはいけません。壊したら苦しみに突っ込んでいくだけです。
昔のテレビドラマで、「私はドジでのろまな亀です」というセリフがありましたが、それでいいのではないでしょうか。それでも頑張ること、それで気づいて成長していくことで、人の痛みがわかるようになるのではないでしょうか。
人に「わかってもらうこと」を求めてはいけない
あの人に、私の気持ちや私の求めているものをわかってほしい。
「自分は人に多くを求めない」と思っている人でも、知らず知らず、そういう思いを抱くことがあるものです。
私自身、今でもやってしまいます。
わかってもらうことは、結局は自分にとっての「癒し」なのです。
「大変だったね」とか「いいよ、そのままで」とか、言ってほしいわけですね。
つまり、癒しというのは、ものすごく他者に期待することなのです。完璧な他者思考ですが、人間はどうしてもそれを求めるのでしょう。それも人間の弱さです。
でも、それは100パーセント裏切られると思っていたほうがいいです。そんなに都合よくいきません。「ケーキが食べたい」と言って、下心も何もなく、ケーキを出してくれるような人なんていません。
みんな、そんなに暇ではないし、余裕もないのです。みんな自分を生きるので一生懸命です。そういう中で相手に自分のことをわかってもらいたがるのが、そもそも間違っていると思います。
私は、そういうところはすごくポジティブではないかもしれません。誰も助けてくれないと思っているのです。お互いに助け合いっこはしても、そんな神さまみたいな人が現れることは、人間界にはないと思っているのです。
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