弱いからこそ、気づけて学べてやさしくなれる
私は、会う人みんなに自分の悪いところや弱いところをどんどん話しています。
「こんな私でも生きているんだから、あなたたちも生きられる。44歳になっても、こんななんだから大丈夫よ」と言うと、「たしかに!」という答えが返ってきます。
子どもたちはすごく吸収が早いし、純粋で素直なので、大人と比べると彼らのほうが、心がどんどん育っていくのが感じられます。
今はお母さんたちともより深くかかわるようになってきましたが、そうでなかった頃は、「頑張っている私でないといけない」「頑張っている私はすごいでしょう、あなたも頑張りなさい」という感じのお母さんが多かったです。それを見ている子どもたちは「痛々しい」と言っていたのです。
本当は、自分の弱さを認めることによって他者の痛みにも配慮できるわけです。
でも、「もっと頑張れ、もっと頑張れ」と自分を𠮟しつ咤たして、「こんな私はダメだ」と言っているために、同じように倒れている誰かを見たら「ダメなやつ」とか、「もっと頑張れ」と思ってしまう。つまり、自分を投影して見てしまうのです。
それが人間です。だから、弱くていいのです。
弱いと気づきがあり、学びがあり、弱いからこそ人にもやさしくできるのですから、自分の弱いところを見つけたら「ラッキー」と思わないともったいないですね。
弱さにもいろいろありますが、たとえば緊張する人は緊張している人のことがわかるわけです。みんなの前に出て、注目されているときに失態を犯してしまったら、「もうダメだ、死ぬ」みたいな感じになりますよね。
自分の緊張の程度がひどければひどいほど、そういう人のドキドキ具合がわかるし、「それでも死ななかったよ」と言ってあげられるじゃないですか。
昔の日本人でいうと「村八分」イコール「死」でしたよね。みんなに認められないとご飯が食べられなくて死んでしまう、そういう感覚が、まだ残っているのではないかと思います。
でも、完璧を目指せば目指すほど、前に出られなくなります。そういう人たちが「弱くてもいいんだ」と思えるきっかけになるのが、自分の弱さを認められる人に出会ったときだと思います。
高すぎる理想にがんじがらめになってはいけない
私の生徒に、頭もよくて、対人関係も上手にできるのですが、理想がものすごく高い子がいます。
仮にXさんとします。彼女は、みんなが仲良くて、みんなが配慮し合えて、頑張るときにはものすごく集中してみんなで頑張る、そういう理想を追い求めているのです。
でも、そういう子は、そうではない現実にものすごく落胆してしまいます。
世の中は理不尽ですから。そもそも中学校なんて超理不尽なところだし、大人も理不尽ですよね。だから、何でも「頑張ればなんとかなる」とは思わないほうがいいのです。みんなそれを中学校で体験して、あきらめる練習や聞き流す練習をさせられているのだと思います。
その子は、高校には行きたいのですが、自分の理想と違うと思っている中学校には、腹立たしくてどうしても行けない。それで不登校になっているのです。
ただ、自分でそれがわかっているならいいのですが、その子は理想が高いゆえに「自分は頑張れば何でもできる」と思って、「朝起きられるけど足が進まないのはどうして? なぜ学校に行けないのかわからない」とパニックになるのです。
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