旨いものだらけなのに
なぜ、“いり豚”だけ?
店のすぐそばの六区ブロードウエーという大通りはかつて、“六区映画館通り”と呼ばれ、毎日びっしり人で埋まって歩けないほどだったという。
今も商店でにぎわう六区映画館通りに近い界隈
現在はROX、浅草演芸ホールを中心に大小の飲食店がひしめき合うが、その通りはおろか浅草に、映画館は1軒もない。
水口の2代目おかみ・水口初音さんは、浅草の戦後の賑わいについて目を細め述懐する。
「映画館が十数軒あってね。大きな飲食店なんかには、お正月にスターが挨拶に来るの。丁稚の小僧さんが月に1回、貯めたお金で映画を見て映画館通りでご飯を食べるのが最大の娯楽。そういう時代でした」
彼女の父が戦前、浅草三筋通りにシェフとふたりで食堂の富士田屋を開店。当時はメニューも少ない食券食堂であった。ところが東京大空襲で店は壊滅。終戦から5年目の1950年、映画館通りに移転し、水口食堂として再スタートを切った。安くて旨くて、旬の魚や野菜が揃って種類も豊富。肉もケチケチしない。映画が斜陽となり六区映画館通りが閑散とする1965年頃まで、水口は映画帰りの客やキャバレーのバンドマンなど六区で働く人達の胃袋を満たし続けた。
レジに立つ2代目、水口正さん。83歳
開店から69年。10年前に3代目を継いだ三男の淳さんは黙々と厨房で立ち働く。妻の裕子さんはホール担当。2代目の父・正さんはレジを打ったり電話に出たり。母・初音さんはカウンターの端に立ち、配膳をしながら店全体にさり気なく気を配る。
さまざまな定食屋を訪ね歩きながら、私は家族経営の店だけが持つ独特の雰囲気に気づいた。厨房とホールと、阿吽の呼吸で空気や塩梅を読み合い、流れるように美味しい品が出され、入店から会計まで気持ちよく過ごせる。店を守ってきた祖父母や両親の背中を見て育った人は、店への愛情と腹の座り方がどこか違う。パートやアルバイトスタッフもそのムードに自然に巻き込まれてゆく。そういう空気が、この店にも漂っていた。
名物いり豚。これで たっぷり一人前
69年前から変わらぬメニューがいくつもある。ハンバーグ、麻婆豆腐、自家製マヨネーズのポテトサラダ、そしてシェフと考案した名物・いり豚。豚肉と玉ねぎをカレー風味で炒めたひと皿でポークケチャップ風だが、もっと甘じょっぱいコクがあり、ご飯がいくらでも進む。
いり豚の単品630円。味噌汁、ご飯、お新香、小鉢がついた定食にすると1030円
おかみさんは「レシピは企業秘密」と、いたずらっぽく肩をすくめる。いろんなメディアに紹介されているので、本欄では詳述しない。なにせご覧のとおり、壁一面メニューがズラリ。いり豚以上に本気でおすすめしたいメニューが多すぎて、編集のモトさんと何を撮るかで30分以上揉めたくらいだ。
こんなに美味しい料理がたくさんあるのに、なぜいり豚しか紹介しないのかおおいに疑問だ。最初からいり豚しか食べていないのかしら? 自慢ではないが私達は、この日3人で3定食、6おかずを平らげた。取材後名残惜しく、裂けそうな腹を抱えながら、「ここからはプライベートタイムですね」と、おかみさんイチオシの肉豆腐を。撮影したポテトサラダやコロッケもおかわりした。
どれも大当たり。とくにマグロとコロッケなんて、ダイナマイト級の旨さなんだから!
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