「自己責任じゃないですか?」
もうひとつ、社会運動に対する批判でよくあるのは、「それは頑張ってないやつのひがみ、やっかみ」とか「私怨(個人的なうらみ)でしょ」というものです。弱い人、恵まれない人が、恵まれている人や、社会的に強い立場にあったり、高い地位にある人や組織を攻撃する。たとえば、低い給料で働いている人が「お給料を上げて」と会社の偉い人に言ったり、「税金を下げて」と政府に言っている様子を見ていると、たしかに「努力もしないでなんか言ってるわ」「社会のせいにしてるだけ」と思う人もいるかもしれない。
もっと身近な例だと「俺が部活でレギュラーになれないのは顧問のせいだ」とか「テストの点数が悪い。問題が悪かったんだ」という言葉を友だちの口から聞いたら、「いや、お前が頑張れよ」と感じるでしょう。
1時間目で「バイトが大変で、授業に来られない大学生」の話をしました。それと同じように、部活のレギュラーやテストの点数のことを考えてみてください。こういうことに対して文句を言っている友だちは、たんに怠けているだけのように見えるかもしれないけど、じつは人の数倍努力しないとなんとかならない環境にいるのかもしれない。たとえばレギュラーになるためには毎日部活に出て、顧問にいいイメージを与える必要があるとする。でも、そんなに愛想よくしつけられた人ばかりではないですよね。テストの問題だって、学校の教育システムにぴったりはまるような人がいい点数を取れるわけで、体力や生活環境からそれがかなわない人もいる。
大変な状況に追いやられている人は、それを改善するために相当な努力がいる。それをなぜ、「高い地位」とか「強い立場」の人がやってのけられるかというと、それはもう完全な運であることもなくはない。いい教育をしてくれる親のもとに生まれたとか、頑張りを否定しないような人間関係に恵まれたとか。
政治や社会が生み出した「平等じゃなさ」を押し付けられている人たち、つまり、一見「ふつう」に見えても、頑張ることのできないスタートラインに立っている人や、「個性」とかでは到底受け入れることのできないハンディキャップを負っている人は数多くいます。
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