こんな田舎にいたら人生終わると、当時は思っていたけれど

東北の農業や漁業の現場を取材したタブロイド紙と、野菜や魚などの生産物をセットで届ける新しいタイプのメディア「東北食べる通信」。その名物編集長が、「都市」と「地方」を切り口に、これからの農業・漁業、地域経済、消費のあり方、情報社会における生き方までを語り尽くした、『都市と地方をかきまぜる』(光文社新書)を、cakes読者に特別公開します!

都会を捨てて田舎に戻れない地方出身者のために

こうして「いいとこ取り」の生活を続けてくると、今日最大の政治課題のひとつといわれる「地方創生」についても、今までとは違った視点で考えるようにもなった。

これまで語られていた「地方創生」の問題点は、人口減少、高齢化にあえぎ、消滅の危機に瀕する地方をどうするかがテーマだった。衰退著しい農漁村の多くは、限界集落という問題に直面しつつある。この事態をなんとかしようと国をあげて対策を立てるのが「地方創生」だと思われてきた。私もかつて地方議員として、弱る一方のふるさとを立て直したいとの思いで、農漁村の疲弊に向き合ってきた。

けれど、「いいとこ取り」の生活の中で気づいたことは、前述のように都会も、いや、むしろ都会の方がより行き詰まっているのではないだろうかということだった。一見きらびやかに輝く都会も一皮むけば、人々の生きづらさは増し、生きる力は減退し、限界都市とでもいえるような惨状が表出している。そしてこの国の中心で都市住民が渇望する「人、地域、自然との関わり」や「生きる実感」が、実はこの国の辺境で苦しみ悶える地方の農漁村に残っていることにも、はたと気づかされたのだ。

田舎から出てきた都会の人々、あるいは田舎を喪失してしまった都会の人々は、かつて捨てたはずの田舎を振り返り、「関わり」や「生きる実感」が当たり前のようにある暮らしを懐かしそうに眺めている。それでも都会の暮らしをリセットして田舎に戻れるかとなれば、それもできない。一度味わってしまった都会の自由で快適な暮らしは、おいそれとは捨てられない。

都会と田舎。その狭間で大きく揺れ動いている都市住民たち。彼らの脳裏では、都会と田舎、便利さと豊かさ、そのどちらを選ぶかという二項対立が渦を巻いている。

けれど今、都会も田舎も行き詰まり、どちらかを選ぶのがより困難になっている。

そこで私は思った。どちらかを選ぶのではなく、この揺れ動きをそのまま抱きしめるような生き方や社会のあり方を模索すればいいのではないか、と。

都会と田舎、それぞれに強みと弱みがある。個人を重視する外に開いた風通しのよい都市社会と、共同体を重視する内に閉じた相互扶助意識の強い地方社会。このふたつの社会はこれまで相容れないものとされてきた。けれども本当に相容れないものなのだろうか。このふたつが一部分でも重なり合うような社会、都会と田舎の価値をパラレルに享受できるような生き方はできないのだろうか。

地方創生の問題を地方の問題にとどめず、都市の問題も包含するスケールで捉えることで、この国が直面している難問への解答に近づけるのではないかと、私は考えるようになったのだ。

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都市と地方をかきまぜる 「食べる通信」の奇跡

高橋博之

東北の農業や漁業の現場を取材したタブロイド紙と、野菜や魚などの生産物をセットで届ける新しいタイプのメディア「東北食べる通信」。その名物編集長が、「都市」と「地方」を切り口に、これからの農業・漁業、地域経済、消費のあり方、情報社会におけ...もっと読む

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