「上司が無能だからMBAに来た」というナラティヴ
「溝に橋を架ける」というメタファーでこれまで対話についてお話をしてきました。イメージは掴めたでしょうか。
この準備─観察─解釈─介入の4つのプロセスについて、ポイントがあります。
それは、準備の段階がとても重要だということです。
先の章で見た、兄弟の経営者の例で考えると、相手をこちら側の基準で評価するナラティヴをそのまま持ち続けていたら、お互いに支え合う関係になることはできなかったはずです。
また、スターバックスの改革の例であれば、シュルツがもしも、売上が落ちてきているということを見て、それまでと同じように短期的な売上向上策を講じていたら、今のスターバックスの姿はなかったでしょう。そこで大切だったのは、納得ができない出来事があったとしても、まず対話の準備段階として、今の自分のナラティヴで解釈することを一度保留してみることです。
しかし、目の前で起きていることに腹を立てたりしているときは、なかなかその溝の存在を受け入れられないということもあります。
それでも一度、自分のナラティヴを脇に置いてみることが必要です。そうでないと相手のナラティヴは見えてこないのですから。もちろん自分のナラティヴを捨てる必要はありません。大切なものです。あくまでもまずは一度、脇に置いてみるイメージです。
そして、何か自分が今まで経験してきたこととは違うことが起きているかもしれない、何かわかっていないことがあるかもしれないという現実を少し受け入れてみること、これが対話の準備段階としてとても大切なことです。
この準備段階を乗り越えることができると、しっかりと相手を観察できるようになります。
私は10年ほど前、MBAプログラムで教えていたことがあり、そのときの経験は、よくこの現象を表しています。
講義の最初にワークショップをやるのですが、そのときに必ず聞いたのは「なぜあなたはMBAに来たのですか」という質問でした。
そのときに、何人かの若い会社員の方から出てきた入学理由で驚いたものは、色々な表現をとりながらも、「上司が無能だからMBAを取りに来た」というものでした。最初、私はこの意味がよくわかりませんでした。上司が馬鹿だと、どうしてMBAという学位が必要なのか、その論理が理解できなかったからです。
それでもう少し聞いてみると、「上司は自分の考えていることをいつもよくわからない理屈にもならないような論理で、平気で潰してくる。このことがずっと繰り返されていて、とても腹が立って我慢ならない。自分はその上司よりも遥かに有能で、ものがわかっていることをMBAを取得することで見せつけてやりたい。そして、上司にこちらの言っていることの正しさをわからせてやりたい」というような意味であることがわかりました。
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