自分で決める」と自己責任論に回収されてしまうのか

劇作家・平田オリザさんと経営学者・宇田川元一さんの対談。第3回では平田オリザさんの著書で語られている「文化の自己決定能力」というキーワードを出発点として、「自己決定能力」や「過去の棚卸し」について話し合います。外の世界に氾濫する「ノウハウ」に依存する前に、自己の内なる資産に着目する――。通底する思いを胸に、ふたりが実行してきた施策を辿ります。

自己責任論の罠

宇田川 平田さんの著書『下り坂をそろそろと下る』では、「文化の自己決定能力」ということが書かれていますね。これは一つ大きなテーマになってくるのかなと感じています。つまり「自分なりに頑張ってみる」という意味だと私は解釈しているんですが。

 以前、私は地方の大学に勤務していたことがありました。そこは典型的な地方都市で、得体の知れない「権威」に対していかに取り入るかということが発想のベースになっていた。自分たちがどうしたいかという考えがないので、結果としてものすごくつまらないものを量産し続けるということが発生していました。

 ただ一方で「自己決定」に関して感じるのが、ニュアンスが微妙、ということです。というのも、一歩間違うと「自己責任論」に陥りかねないと思っていて。ビジネスの文脈でいうと、「自責と他責」とか「自分事と他人事」という言葉が結構流行っていまして、たとえばリクルートに「お前はどうしたい?」っていう言葉があるらしいんですね。

 要するに、仕事は各々の創意に基づいてすべきだから、自分がどうしたいのかを自分で決める自由がある、という意味なわけです。でもそれは使い方を誤ると、「お前はどうしたい?」って尋ねる側の責任逃れにも使えてしまう。そのあたりの微妙な意味合いについてはいかがでしょうか?

平田 とても難しい問題です。私が文化の自己決定能力の必要性を訴えてきたのは、地方創生の文脈でした。つまり自分で決められないと、あっけなく東京やグローバル資本に搾取されてしまうということなんです。

 だから地方自治体ほど文化の自己決定能力を持たなきゃいけない。そのためには教育しかないと僕は思っているんですが、難しいところは、宇田川さんがおっしゃるように自治体の「自己責任論」になりかねない。

 自己決定能力を持てない地方自治体に対しては、選択肢は2つあると思っています。1つは、かつて田中角栄が提唱した『日本列島改造論』みたいにみんなで協力して乗り切るというスタイル。ただ、ここに戻るのは現実的にちょっと無理。日本にはそれほどの余力はもはやありませんから。じゃあもう一方の選択肢として地方を切り捨てるのはどうか。それも日本人には向いていない。

 そうなってくると、もう第3の道を見つけないといけないんじゃないか、と思うんです。その時に、全部の自治体を救うことは、無理かもしれない。だから、3分の1ぐらいは豊かになれるような政策が落としどころじゃないかと思っているんです。ある程度の競争と淘汰は必要ですから。ただし、そこのさじ加減は非常に難しいですよね……。

過去の「成功体験」を掘り起こす

宇田川 第3の道、ということに関して、今私は、ある業界の最大手メーカーのイノベーション推進室でアドバイザーをしていますが、そこでは今、過去のイノベーションの棚卸しをしているんです。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

この連載について

初回を読む
平田オリザ✕宇田川元一 ──「わかりあえなさ」から始めよう

宇田川元一 /平田オリザ

「お互いに”わかりあえていないこと”を認めることが、ビジネスでもアートでも大切である」 大反響につき発売3週間で4刷り決定! 経営学者・宇田川元一さんの著書『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパ...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

MotokazuUdagawa #NewsPicks https://t.co/xZ9SH9mVMW 11ヶ月前 replyretweetfavorite