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アミノ酸からホモサピエンスに至る命を樹状図で示すひじきの群生
それは音楽にしか聞こえなかった。
さわしかつのおつる。
それが麋角解という漢字で、二十四節気七十二候の、第六十五候であると教えてくれたのは膠(にかわ)さんだ。
彼とわたしは市民楽団で第二バイオリンを弾いている。
二人とも絶対音感を持っていて、一緒にいると聞こえた全ての音を音階で発音して確認し合うから、他の楽団員から「鳥の番(つがい)」と呼ばれている。
実際二人は恋人同士で、相性が良すぎると分かってから性交を断った。
わたしは膠さんに出会うまで、心中する恋人同士の気持ちが全く分からなかった。けれど、こんなに溶け合ったら液体になるか死ぬしかない。それが分かった。
死なないことを確認して、二人は液体になることを目指す。
喜怒哀楽にぴったり合った音楽は、人を液体にする。
だから二人は、楽団員としてバイオリニストとして、音楽人として共に精進することにした。
音楽人には、音楽以外も必要だ。しかしそれも、音楽的な何かとして。
最終的には、全てから音楽を抽出したい。自然から定式を抽出する数学者のように。現実から純粋を抽出する詩人のように。抽出というより、解放だろうか? 全てが秘めている音楽を、生きた証として解放したい。解放させてあげたい。
料理は、すごく音楽だ。音楽は料理だと言い切ってもいいくらいに。
毎日どちらかのアパートに行き、二人で料理を作る。
修業のように、官能のように。素材に触れるだけで、それらが生息しながら聞いていた音楽が手から聞こえる。それを二人で発声して確かめ合う。
ひじきはゆらめきだ。ひじきは揺らいでいた。
乾燥ひじきを見ているとミイラみたいで心が痛む。早くひじきのゆらめきを、音楽を戻してあげたい。だからわたしは見るたび乾燥ひじきを大量に買い込む。ある人が難民を保護せずにはいられないように、わたしは乾燥ひじきを保護せずにはいられない。
二人はだから、いつもひじきを食べている。
軟水に浸し、こわばった乾燥ひじきの全身と過去と心に水分を送る。人間の毛細血管に酸素を送る心臓のように。
水分を含めば含むほど、ひじきはゆらめきを、音楽を取り戻す。浅瀬の、潮騒と呼ばれる控えめなリズムだ。
ひじきが煮詰まる頃、テレビで気象予報士が「さわしかつのおつる」と言った。
頭の中で反芻しても、まずどこで切れるのか分からず、漢字変換もできない。
膠さんが教えてくれる。
「牡鹿の角が、春に向けて生え変わるために根もとから落ちるんだ。角は、牡鹿の性欲なんだ。求愛すればするほど、牡鹿の角は異様なほど大きくなる」
二人は、封印を解いて性交を始める。
さわしかつのおつる。
わたしの頭の中でひじきが鹿尾菜と漢字変換され、膠さんがわたしに入ってくる。
さわしかつのおつる。
軟水で戻したひじきの、半分がまだ残っていた。
それらは水を含み過ぎ、巨大化して銀色のボウルからはみ出してゆく。
一本一本は、落ちる前白くなる前の、牡鹿の黒い角だった。
それぞれが相手を、自己投影した番(つがい)を、つまり己そのものを、欲して求めてどうしようもなく膨らんで生き満ちている。
枯れ木たちと海岸線のひじきとは自分を求めて発情してる