いだてん』第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」〜戦争・アジア・オリンピック

1959年。東京オリンピックの招致活動が大詰めを迎えていた田畑(阿部サダヲ)は、東京都庁にNHK解説委員の平沢和重(星野 源)を招き、きたるIOC総会での最終スピーチを引き受けるよう頼みこむ。断る平沢に対し田畑は、すべてを失った敗戦以来、悲願の招致のために全力を尽くしてきた自分の「オリンピック噺」を語って聞かせる…



腕時計対ストップウォッチ

 1959年、東京都知事に東龍太郎が就任した。

 東京には目新しい建築物がにょきにょき生えていた。2年前の1957年、丸の内に東京都庁の新庁舎ができたばかり。そして、嘉納治五郎の遺産ともいうべき明治神宮競技場は、1年前の1958年3月、国立競技場として生まれ変わった。さらに同じ年の12月には、東京タワーが、あの芝に竣工した。

 一方、嘉納治五郎の最期をみとった平沢和重は、いまや東京都千代田区内幸町NHK放送局の解説委員として活躍していた。その鋭く的確な解説ぶりを見込んだ田畑政治たちは、来るIOC総会での最終演説者候補として、平沢を東京都庁の庁舎に招いた。しかし当時、平沢は、東京でのオリンピック開催に対して反対論を唱えていた。

「Still early. 時期尚早」

 なぜ「時期尚早」か。平沢は、田畑たちの前で、おもむろに腕時計をはずすと15分を計り、いかに東京での開催が理にかなっていないか、テレビさながらの手際のよさで解説してみせた。対アメリカ問題、スポーツ教育の遅れ、人材不足、交通や宿泊施設の不備、開催国選手の実力不足。実に簡にして潔。もちろん田畑は引き下がらない。土下座と見せて落語の一礼、マクラのあとにおもむろに羽織を脱ぐと、歌舞伎さながらの寄り目で見得を切った。かざしたのは、古びたストップウォッチ。

「はええかおせえかは15分間、おれのオリンピック噺をきいてからにしてくれい!」

 平沢が15分で黒板に記した5つの問題点、その文字に重ねるように、マーちゃんたちの戦後14年間が次々と映写される。バー「ローズ」で東京オリンピック開催の決意、ロンドン・オリンピックに対抗して裏オリンピック、カクさん乱入、古橋廣之進が「気持ちいいじゃんね!」、彼の人との写真そのままのポーズをとるマッカーサーと田畑、全米選手権、フジヤマのトビウオ、ヘルシンキをうつす日本に800台しかないテレビジョン、貧しいからこそオリンピック、吉田首相に直談判、マーちゃん政治家に立候補するも惨敗、岩ちんこと松坂桃李がさわやかに手を振り駆けてくる、思い出の神宮競技場は新スタジアムに、船場の医者の息子が都知事に、直談判にやってきた妻は筒井真理子、脚を折った外交官は岩井秀人。

 速い。話が速くて長くて濃い。視聴者も、お腹いっぱいだ。

 にもかかわらず、現代のパワーポイントさながらのこのプレゼンテーションは、黒板に記された問いに何一つ答えていない。カーテンが開き、明るくなった部屋で平沢は問いただす。「そもそも、みなさんがどういう理由でそこまでオリンピックに魅せられるのか、その理由が知りたい」。

 マーちゃんは、その問いに直接答えるかわりに、陽射しの中で別の話を始める。フランス語で平和は何というか。「ペ」。それは、かつて嘉納治五郎がバルコニーの陽射しの中で、フランス大使からきいたことばだ。オリンピック、スポーツ、ペ。パピプペポは人の心をあやしくする。それにしても、なぜいま、「ペ」か。話は1954年のフィリ「ピ」ンへと遡る。

フィリピンの銅メダリスト

 手元に、日本体育協会から発行された「第二回アジア競技大会報告書」なる分厚い報告書がある。編集発行人は田畑政治。1954年、フィリピンのマニラで行われたこの大会に田畑は選手団を率いる団長として出席した。300ページを越える報告書には、各種目の成果だけではなく、選手団の動向、大会運営の内情から報道記者たちの座談会にいたるまで事細かに記されている。

 ドラマでは描かれなかったが、報告書によれば、田畑はこの大会でイルデフォンソの未亡人と会っている。

鶴田義行が、アムステルダム、ロサンゼルスで二大会連続のオリンピック金メダルを獲ったその同じ試合で、二大会連続の銅メダルを獲った選手がいた。テオフィロ・E・イルデフォンソ。平泳ぎ200mのフィリピン代表選手だ。イルデフォンソはこの種目でフィリピン初のオリンピック・メダリストとなった。しかし彼は、その後アメリカ領フィリピン軍に従軍し、真珠湾攻撃の直後、日本軍との戦闘に参加した。翌年の1942年、多くの犠牲者を出した「バターン死の行進」をかろうじて生き延びたが、捕虜収容所で亡くなり、遺体すら返還されなかった。

 そのイルデフォンソの未亡人が、水球選手の長男、バタフライ選手の長女、少年代表の次男を伴って出席し、田畑と語らったのだった。「戦争で日本軍に討たれたイルデフォンゾ氏を回想、人情団長の目も未亡人の目もうるむ。スポーツにまで戦争を及ぼし度くないものだ。団長と未亡人の会話は聞くに忍びなかった」(清水康男「団長日誌より」)。

選手団への罵声

 「第二回アジア競技大会報告書」に、田畑政治は巻頭言としては異例の長文「第二回アジア競技大会に使して」を記している。大会の歴史、開催の経緯、現地の食事や宿舎の対応に至るまで、忌憚なく記されたその内容は、まるで田畑の早口がそのまま考えとして表されたかのようだ。中でもとりわけ目を惹くのは、マニラの人々に関する記述だ。

 「われわれの交際したかぎり例外なくフィリッピン人は非常に親切であって、不愉快のことは一度もなかった。しかし当然のこととはいいながら、一般大衆の感情は決してそうではない。日本人がいったん団体行動をしたり、日の丸の旗を持つと内蔵された悪感情が爆発する」。

 折悪しく、日本とフィリピンの間で当時行われていた戦後の賠償交渉が決裂したばかり。日本人の乗ったバスに対しては「コラ」「バカヤロー」「ドロボー」などの罵声が飛び交った。

 「私の乗っていたバスの運転手はよほど気の毒と思ったか、私に対し「あれはみんな戦争中日本の兵隊がいった言葉を覚えているのだ。私も戦争に行ったが」といってズボンをまくり二ヶ所の弾創を見せ「戦争に行った者は忘れているのだが、戦争に行かなかった者は覚えているのだ。早く忘れなければならない」といった。私はこれをその場をとりつくろう一つの気休め的お世辞と思って別に気にもとめなかったが、後になってこの言葉の持つ深い意味を知って、この運転手をいまでも忘れられない」。

 しかし大会が始まり、日本選手たちの強さ、マナーのよさを目撃するにしたがって、人々から発せられることばは変化していった。日本選手団が去るときに群衆から出た声は「バンザイ」「サヨナラ」「トモダーチー」等がほとんどで、悪い日本語は皆無だった。「サヨナラ、オヤスミナサイ」という声もあった。わずか8日間の会期で、選手団を取り巻く感情は明らかに変わった。

市街戦の記憶

 もちろん、激しい戦争の記憶は忘れ去られたわけではなかった。田畑は重量挙げの藤原選手から聞いた、あるエピソードを記している。

 「日本選手の評判がよくなるにつれて、逆に戦争中の日本軍人のそれはますますわるくなった。宿舎でわれわれの世話してくれたマニラ大学の学生諸君も「これが戦争中の日本兵と同じ日本人とはどうしても思えぬ。実に立派なものだ」と激賞するので、私は内心すこぶる得意であった。ところが帰国後重量挙の藤原君からわれわれの宿舎の護衛をしていた若い兵隊の1人の話として、われわれの宿舎の下に何千という日本兵の死体等の墓標さえなく埋められているということを聞いて私は慄然として、得意であった自分が恥しくなった」。

 1945年2月、第二次大戦末期に起こったマニラ戦は、米軍に攻め込まれた日本軍が降伏することなくマニラの街にたてこもったために起こった、悲惨な市街戦だった。一万数千人の日本軍はほぼ全滅した。そして、市街戦で犠牲となったのは、日本兵だけではない。若い兵士はこう言う。

 「マニラ市にキャンプしていた日本兵は戦局の悪化につれて次第に追いつめられ、最期にキャンプしたのはこのマニラ大学の附近一帯で、ついにここで全滅した。無数の死体は長く放置されていたが、放ってもおかれず、ブルトーザで掻き集められ、この宿舎の下に大きな穴を掘って埋められた。自分(兵)は当時十一才であったが、それを現にこの目で見た。私は父も兄も日本兵のために殺された。日本兵は戦争中に実にめちゃくちゃをした。戦闘力のない婦人や子供までうしろから鉄砲で撃ち殺した。私は日本兵を鬼畜だと思った」。

 市街戦に巻き込まれたマニラ市民の犠牲者総数は約10万人に達したと言われている。マニラの人々に「鬼畜」としての日本人の記憶が生々しく残っていた1954年、田畑たちは選手団として乗り込んだのだった。

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今週の「いだてん」噺

細馬宏通

近現代を扱ったNHK大河ドラマとしては33年ぶりとなる「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。伝説の朝ドラ「あまちゃん」と同じ制作チーム(脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛)が、今度は日本人初のオリンピック選手・金栗四三と、6...もっと読む

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コメント

JJCheapThrills 今週のアレをナニする前に、先週の「ぺ」と「ピ」についてのはなし。 #いだてん 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

jj_akichan 人は狂うモノなんだよな。だから戦争の様に狂う場面を用意してはならぬ。 https://t.co/iEoVA4WkXH 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

bmonkey1966 だね。今度のオリンピックとは相当違うから視聴率悪いんだろう(ってか広告のないNHKに視聴率をいうのがおかしいけど) https://t.co/TcIWkeBuAu 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

hipponmaster 史料は雄弁に語るんやなぁ #いだてん 約1ヶ月前 replyretweetfavorite