思い出の店の跡地で飲む【パリッコ】

大好きだったあのお店がなくなって、その跡地に新しいお店ができた。もし、その店で飲んだらどんな気持ちになるのか?パリッコさんによる、飽くなき酒飲みの探求心を感じるそんなお話。
なんだか気ぜわしい僕たちの毎日には、楽しくて、ちょっとホッとできる「お酒」が必要だ! 本連載はそんなお酒をこよなく愛するあまり、「酒の穴」というユニットを結成してしまったパリッコさんとスズキナオさんが、酒にまつわるアレコレをゆるーく、ぬるーく書いていくリレーエッセイです。過去の連載へはこちらから。

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あそこに行ってみるか

渋谷でぽっかりと時間が空きました。ちょうど1時間。時刻は午後2時、そういえば今日はまだお昼ご飯を食べていなかった。何か食べようかな。と、そこでふっと思いついた。 「あの、韓国のどんぶりめし屋に行ってみるか」と。

この連載やナオさんとの対談にもたびたび登場するので、知っている方も多いかもしれません。以前渋谷に「細雪」という渋~い大衆酒場があった。床は外の地面と地続きのようなひび割れたコンクリートで、トイレは洞窟みたいで、ずっと店員さんだと思っていたおじさんが実はいちばんの常連客で、何もかも安くて、ホッピーのナカが濃い。僕やナオさんのようなしみったれた酒飲みを受け止めてくれる、渋谷最後の砦。渋谷の奇跡。京王井の頭線渋谷駅西口改札の真横のビルの1階という場所にありながら、街人の多くはその存在に気づかず素通りしていく。そしてまた自分たちも、何度も前を通っていながら、「こんな場所にこんな渋い酒場があったっけ?」と気づくまでに数年を要した。ゆえに、「見える人にしか見えない酒場」なんて呼んでいました。
このお店が大好きだったんですよね。入るとまず手書きの日替わりお刺身メニューを進められ、実際かなりうまいらしいのですが、基本的にはもっと割安の、「肉豆腐」とか「丸干しいわし」とかで、よく飲んでいた。ホッピーセットは350円だった。チューハイは300円だった。女将さんはとても愛想が良く、大将は一見ぶっきらぼう。だけど実はシャイなだけの人の良いおじさんで、帰りがけに見せてくれる笑顔に何度、心癒されたことか。最先端とハイテンションが飽和した渋谷の街で、あの店にいるときだけが唯一、のんびりと心を解放して過ごせる時間だった。
が、大変残念なことに細雪は、2017年の3月に閉店してしまいました。

わだかまりが興味へ

それからしばらくして細雪の跡地を通ると、何事もなかったように、というか、素知らぬそぶりで、何やら韓国風のどんぶりめし屋になっていた。それが冒頭で「行ってみるか」と思いついたお店というわけ。
しばらくは、むしろ嫌悪していた。「もう! そこ、本当は細雪の場所なのに!」と、なんの罪もないどんぶりめし屋を憎んでしまっていた。しかしながら、時間が解決してくれたのでしょう。いつの間にか、そんなモヤモヤとした気持ちが自分の中から消えていたんですよね。そして興味が湧いた。あの細雪の跡地の店で食事をしたらどんな気持ちになるんだろうか? と。お酒がメニューにあれば飲んでやれ! と。そうだ、「思い出の店の跡地飲み」をしてやろう! と。

やってきましたよ、お店の前へ。あらためて店頭を眺める。迫力のある筆文字で「韓丼」と書かれていて、どうやらこれが店名のようです。その横に「京都」とある。韓国なのか京都なのか、謎が深まる。その上に「カルビ丼とスン豆腐専門店」とある。どうやらそのふたつが名物であるらしい。「カルビ丼」はカルビの丼。「スン豆腐」は、豆腐入り具沢山鍋、という感じでしょうか。
店頭には、途中でマイナー進行が挟まるも基本ポップなメロディーに「さっちゃんのカルビ丼 さっちゃんのカルビ丼 美味しいな~ 食べたいな~」という歌詞が乗るオリジナルソングがループで流れている。さっちゃんって誰なんだろう? とさらに謎が増えつつも、聞いていると、確かにな~、食べたいな~、という気になってきます。
扉横の券売機前へ。カルビ丼とスン豆腐のバリエーションやトッピングも含め、けっこうごちゃごちゃしてますね。とてもじゃないけど初見では選べない。ここはオーソドックスに、と、カルビ丼(550円)か。それからあるじゃない、瓶ビール(450円)。合わせて税込、ちょうど1000円。

一瞬だけ時空を超える

いよいよ店内へ。
かつて壊れっぱなしで「手動」だった自動ドア。そのシステムに慣れていないから、みんな開けっぱなしで店内へ入ってきてしまい、入り口に近い席で飲んでると、閉める係をやらざるをえなかったあのドアも、すっかりきれいな半自動に。
店内すぐのカウンター席に座り、やってきてくれた店員さんに食券を渡します。それからあらためて、ゆっくりと店内を見回す。なんだか、ずいぶんと狭く感じるな。以前の店内に、もう一個箱を入れたような印象。とはいえ、厨房設備がものすごく客席を圧迫しているかというとそこまでではないし、どういうことだろう? かつてのあのそっけない壁や床の質感に、膨張効果でもあったんでしょうか。
目の前の壁には、韓丼を開発したと思われる料理研究家、さっちゃんの言葉が綴られています。要約すると「インスタント食品があふれ、家庭料理の味が忘れられつつある昨今、お店の利益のためではなく、子を持つひとりの母として、子供たちに、安全で、安心で、健康に良い食事を提供したいと思った」という感じ。うんうん、いいと思います。

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スズキナオ /パリッコ

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