好きすぎてつらいから、補助要員をつくってみた

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は「好きになりすぎてつらい」というお話です。森さんは好きな人や物や動物ができると、好きすぎて苦しくなってしまうのだそう。それを緩和するために森さんが試みた方法とは?

たぶん誰もが経験しているであろう、好きになりすぎてつらいという病。比較的女性に多いのかなと推測するのだが、かくいう私もその病にはしょっちゅう罹患している。なまじ小説家なんて生業についているから、妄想力がすごいのだ。

だから好きな人や物や動物(ペット)ができると常にその人や物や動物を考えてしまう。それが幸せ妄想ならいいのだが、私は自己肯定感が低いので、ついついマイナス方面へ思考が動いてしまう。自己肯定感が低い人が最近増えている、というのも某出版社の方々とお話ししたのだが、その考察はまた今度ということで。

くやしくて悲しくていたたまれなくて

人を好きになりすぎると本当に苦しい。自分で自分の首をしめてしまう。その証拠に、私は好きな人ができると痩せてしまう。ペットだって同じ、「飼い猫に無視された」だけで1キロは体重が減る。

飼い猫が我が家にやってきた時、私にとっては初めての猫だったし、しかもすこぶる美猫(親バカっぷりを差し引いても美猫です)だったので、あっという間に恋に落ちた。猫が旦那さんに抱かれるだけでやきもちを焼いたほどだ(今もです)。自宅で私と長時間一緒にいながら、私より旦那さんに懐く猫。

くやしくて悲しくていたたまれなくて、つい私は禁を犯してしまった。猫カフェへ現実逃避しに行ったのである(魅力的な奥様に無視され続けた末キャバクラに走る夫、みたいなノリ)。しかし洒落じゃなく、最近の猫カフェはキャバクラも真っ青なくらいだ。「マンチカンの××ちゃんのプロフィール」とか「ラグドールの××ちゃんのインスタグラム」など、HPで情報がアップされている。

保護猫を譲渡するための猫カフェもあるが、厳選した美猫を取りそろえた猫カフェもある。私が選んだのは後者だ。一時、金で買った猫の営業スリスリや営業おやつタイムや営業抱っこに癒された。私は、飼い猫にもたらされたつらさ(自分勝手なつらさ)を他の猫を愛でることにより緩和させたのだ。

「誰かつらさを分け合いませんか」

最近、これを私は人に応用させた。人を好きすぎてつらいなんて暇だからだよ!とお叱りになる方もいるでしょう。黙って仕事してりゃいいだろ、とあきれる方もいるでしょう。でも先に申し上げたように私は小説家なのだ。悶絶するほど悩むのも仕事、というか性である。ひとりの人に熱量をそそぐのってしんどいな、飼い猫にもそそいでいるんだし、とほとほと疲れはて、じゃあもう分散してみようと試みた。

これはポリアモリーでも浮気でもない。世の中は案外都合よくできていて、私と同じように「人を好きになりすぎてつらいから、誰かつらさを分け合いませんか」というスマホの家族割のような関係を求める人がいるのだ。愚痴を言い合ったり、のろけあったりするのではない。それだったら同性同士でもできる。あくまで恋愛対象としての性を持っている方(私の場合は男性)で、その方にも圧倒的に好きな人がいる、という設定で、その方と疑似恋愛というか2番手恋愛を楽しむ。

それって、自分の心がピュアだからしかたない、みたいに書いているけれど、結局浮気だろうが!と非難されそうだが、浮気って気が浮いているってことですよね。気が浮くくらいの気持ちならむしろ楽である。気が固まりすぎてぎっちぎちで痛いから、ちょっと溶かそうかな、くらいの思いなのだ。ココナッツオイルが固まりすぎてバターナイフが入らないから、誰か少しだけ溶かしてくれませんか、今のままだと歯が立たないんです、といった具合。

そう切望していると、毛穴からそれっぽい雰囲気が醸し出されるのだろうか。君の心を僕のバターナイフで突いてみるから、君も君の熱さで僕の心をやわらげてくれないか、みたいな人が現れる。お互い、1番手が最強だと承知しているから、変に駆け引きなどせずに和み合える。同性でもないから適度な緊張感もあるし、悩み相談もできる。

これって、けっこういい関係じゃありませんか?

いつぞやなど「僕が彼の代わりに謝るから、彼を許してやって」と諭された。私と一番手がどういう状況だったかというと、まあ、ちょっとした意思疎通のすれ違いだ。メールやLINEなど、顔が見えないからこそ起こり得る価値観の相違とでも言おうか(とはいえ、私は自分が全否定されたようなショックを受けた)。

私も、「女性には複雑な面があるから、彼女を責めないであげて」などと偉そうにアドバイスした。お互い、肩を叩き合って「そうだそうだ、明日も頑張って彼(彼女)を愛そう」的に励まし合ったり。これって、けっこういい関係じゃありませんか? 肉体関係の如何は応相談で決めていけばいいし、双方同意の上なら未知なるプレイのリハーサルをしたっていい(私に至っては、今のところそういうのはありません)。

世間には、パートナーの足りない部分を補うように別パートナーを設ける人達がいる。これもまた浮気という定義になるかもしれないが、私はこういった関係性も否定しない。ただひとつ絶対に守ってほしいのが、パートナーには全力で秘密するという、ただ一点だ。あくまで最も大切にしてほしいのはパートナーで、別パートナーは補足要員である。

これも酷い言い方かもしれないが、ここにも私が思うルールがあって、補足要員は相手にとっても補足要員であるべきだ。足りない部分を補い合うのなら、これはこれでベストマッチというかベストパートナー(補足編)である。どっちかが1番手でどっちかが2番手(3番手、4番手かも)というのはいけない。トラブルの元になってしまう。

誰だって、一番好きな人の一番になりたい。でも24時間を一番好きな人に捧げるのはしんどいし、社会人として日常生活が破綻してしまうし、一歩間違えば病院案件になってしまう。その上で、大人としての解決策を見出したい。

仕事に没頭できる人はいい、趣味に勤しんでいれば何もかも忘れられる人もいい、でも、そうじゃないタイプがわんさといる。大人になればうまく恋愛できるなんて、子供だった頃の幻想だ。むしろ大人のほうが不器用である。「もう大人だから取り乱してはいけない」とか「大人が人前で泣くなんておかしい」という設定を自分に課してしまっているし、やはりそういう目で見られてしまうから。

それでも人を好きになるのをやめられない

先日、私は人目も憚らず電車の中で泣いてしまった。アラフィフ女性がひとりで電車に乗っていて、いきなり滂沱の涙を流したのだ。そりゃ、周囲はびっくりしただろうよ。「40歳以降は人前で泣けなくなるけれど、私の悲しみは私だけのもの」でも書いたけれど、やはり大人、特に40歳以降は人前で泣いてはいけないと肝に銘じている。

そう公言してしまった私なのに、高が外れたように泣いてしまった。泣いた原因はわかっていたので、私は私の思いを分散させなければと痛感したのだ。そうしなければ壊れてしまう。

本来、誰かを好きになるのは素晴らしいし、それに準ずるあらゆる行為も美しい。肉体的なあれこれだけではなく、気持ちや視線の動きだけでも人生を彩るのに十分だ。だから、好きな人がいることによって自己肯定感の低さが際立ってしまうなんて本末転倒だし、LINEの返事がこないことや既読スルーであらぬ疑いをかけるなんてナンセンスだし、Twitterで彼や彼女の現状を探ろうと躍起になるのも不健康だ。私達は心の底では全部わかっている。でもやってしまう。だって、好きすぎてつらいから。

それでも人を好きになるのをやめられない。一緒にいる時間が至福で天国だから、私達はひとりになるのがこわいのだ。そうして、彼や彼女の「ひとり」を浸食したくなってしまう。うわー、不毛だな、おい! と自分ツッコミするくらい、私だってわかっているのだ。

だから苦肉の策(?)として私は提案する。好意を分散させよう。120%の好意の20パーセントは暗黒だ。純粋な好意は100%なのだ。余りの20%を白く引っくり返せるのは、もしかしたら別のパートナーかもしれない。

この連載について

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アラフィフ作家の迷走性活

森美樹

小説家の森美樹さんは、取材や趣味の場で、性のプロフェッショナルや性への探究心が強い方からさまざまな話を聞くのだそう。森さん自身も20代の頃から性的な縁に事欠かない人生でした。47歳の今、自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する...もっと読む

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コメント

Ayoshida_MM 愛情の分散はホント大事よなー 2日前 replyretweetfavorite

a_ogo 好きすぎて辛いです。 補助要員は、作れるかな。。。 3日前 replyretweetfavorite