<執着>
「自分の中の流れ」には逆らわない。
流れに身を委ねて、ただ、目の前のことに集中する。
僕には人生の指針などないのだけれど、大事にしている考え方は、いくつかある。
ひとつは 「水が低きに流れるように、自然に身を任せる」 ことだ。
水は、山から集まって、やがて川となって流れていく。ときには滝もあるし、穏やかに流れていくこともあるだろう。
さらに小さな川は集まり、大河となって、ゆったりと広い海に流れこんでいく。
何者にも、せき止められない。
せき止めようとしても、流れはどこかで必ず生まれ、別の支流から川となる。
例えば、水に飲まれ、滝から落ちそうになってしまったら。
そうならないよう努力はすべきだけれど、滝が間近に迫ったときは、どうしようもないのだ。
「落ちたくない!」などと考えて、もがいても仕方がないと、僕は思う。
「滝から水は落ちるもの。抵抗しても意味はない」と受け入れ、流れに身を任せてしまうのが最良だ。
滝に落ちても、必ず浮上するチャンスはある。
滝の向こうに延びる、また別の大きな流れに飛びこめたと考えればいいのだ。
世間の人たちから見れば、堀江貴文という人間は、流れに逆らって生きているように見えるかもしれない。
しかし僕本人は、逆らっているつもりがないのだ。
ほとんど流れに身を任せている自覚しかない。
ビジネスや遊び、お金も人間関係も、すべては流れのなかで、できている。自分から「こうしたい!」と願いながら取り組んだものは、あまりないのだ。
誤解されてはいけないが、周りに流されるということではない。
意識しているのは、「自分のなかの流れ」であって、他の人の流れとは関係ないのだ。
人は、みんなそれぞれ自分にとっての川を流れている。
僕もまた、僕だけの川のうねりを、流れているのだ。
周りに流されるのではなく、自分の川の流れに逆らわず、自分の運命に逆らわずにただゆっくりと流れていけば、必ず行くべき海へ出られる。
僕の思考の底には、そんな確信がある。
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