人は皆置かれた環境の中で、折り合いをつけながら、必死に生きている。ぶっちゃけ親も子も自分の命を守るだけで精いっぱい。移動に人手を要する私は、年老いた父母のもとに、時おり顔を見せるのがやっとだ。
勤務五年目の春、ある日のこと、突然、「うーうーうーうー」と子どものように泣きじゃくる母に私は驚いた。こんな母の姿を見るのは、生まれて初めてだ。胸で頭を抱えてやり、頭をなでる。
「ちぃーちゃん、あの時、あの時……ごめんな」
八十歳を過ぎた彼女は唐突に叫びだした。
「あんたは、ずっと憎んでるんやろ」
年をとると、なんの前触れもなく時ならぬ時に衝撃の告白をし、家族の時間がそこで終わることもある。ざわつく心で母の次の言葉を待つ。
「あの時、無視してしまった、知らん子やと言うた時から、ちぃーちゃんは私より父ちゃんのほうが好きなんやろ」
よかった。この程度の地雷なら傷つかずにすみそうだ、と緊張感から解放され、ほのかな安堵感さえ覚えた。
確かに、私はお父さん子だった。でも、それは、父が小さい私の手を引き望むところに連れていってくれたからだ。なぜ母はこのタイミングでこんなことを言うんだろうか。のどに刺さっていることを忘れていた魚の骨を取り出すような少しの痛みを覚悟しながら、聞いてみた。
「ひょっとして、私が二十歳ぐらいの時のことを言ってる?」
記憶とは、きっかけがあったら蘇る不思議でやっかいなものだ。
あれは確か私が大学三回生の頃。
向こうからやってきた母は、見知らぬ派手な女の人と一緒だった。「母さん」と手を振りながら、駆け寄る私に、母は言った。
「あんた誰?」
私は、それを母のジョークだと疑いもせずに、「えっ、私やん」と抱きつこうとした。すると、「知らんて、この子、ちょっとおかしい」と、汚らわしいものを見るような目つきで数秒私を凝視し、突き放した。
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