夏に立つ霞を夏霞という。富士の山の頂上に積もった雪も知らない間に溶けて、その裾野にはそよ風が吹いている。とてもいい景色だ。その富士山と同じくらいに有名な伊達男がいる。その男の名前は清水次郎長。東海道でもっとも評判がよい大親分だ。人の気持ちを慮って、きめの細かい思いやりを示す一方で、大義に殉ずる強い心も持っている。その心胆は鋼鉄を五枚重ね合わせたように鞏固だ。その次郞長の幼い日々の一幕を悪文ながらも綴ってみよう。
禅叢寺の僧が広大な庭園で栽培する菊。寺で学ぶ児童らはこの菊畑の水遣りに使役されて苦しんでいた。みなの窮境を見た次郎長はドンと胸を叩いて言った。
「おいらに任しねぇ」と。
それを聞いた子供らは誰ひとりとして、そんなことができるとは思わなかった。
だから次郎長に問うた。
「いったいどうするつもりなのか」と。
しかし次郎長はそれに答えず、「とにかく任しねぇ」と言った。
言ったことは必ずやる。なぜなら言うだけの奴、というのを次郎長は非常に嫌っていたからである。なぜ次郎長が言うだけの奴、口先だけの奴を嫌うようになったかというと、それはそうした大人を多く見てきたからであった。
「あっしに任してくんねぇ。今月中にその品物を揃えて御覧にいれます」
「借りたお金は今月中にお返しいたします」
なんてなことを父親の次郎八に向かって言いながら約束を果たさない、なんて人間はざらにあった。むしろ約束を守る人の方が少なかったくらいである。
しかしそうした人にもふた色の人が居ることに次郎長は気がついた。
どういうことかというと、ひとつは、最初は約束を守るつもりでそう言い、約束を守ろうとして努力し、しかし結果的に努力が稔らず約束を果たせない人で、そういう人については次郎長もまあ仕方がないのかなあ、と思うようになった。
次郎長がどうしても許せなかったのが、そうではなく端から約束を守る気がない人で、そうした人はその場その場で心にもない調子のいいことを言い、人の歓心を買うことによって自分の立場をよくしようとしたり、なんらかの利得を得ようとした。
次郎八の経営する甲田屋にはこんな人もよく出入りしていて、次郎八の前では、「いや、もう絶対に大丈夫でござあす」と請け負って、次郎八が席を立ったら、「どう考えても無理だ」など言って笑うなどしていた。
そして出入りの人もなにも、次郎八の若い女房、お直というのが、まさにそうした人で、次郎八の前では、家政に力を入れて内助の功を上げる、死ぬまで添い遂げる、年上のおまいさんが先に死んだら雄猫一匹近づけないで長五郎とともにこの甲田屋を守る。あたしは誰よりも長五郎を愛しております。などと殊勝たらしいことをいうが、実際には次郎八に内緒で勝手に着物や帯を拵えたり、芝居見物に出掛けたり、出入りする男にベタベタした態度を取るなどしていたし、次郎長に対してもつらく当たることが多かった。
そういう母親の姿を見て育った次郎長の心の奥底には、なんとなく女というものを信用しない気持ちが芽生えたし、また自分だけは言ったことは必ず実行する男らしい男になろう、という強い気持ちも芽生えたのである。
そんな次郎長だから多くは語らず、直ちに「菊の水遣りをしないですむようにする作戦」に取りかかった。
炎天燃えるように暑い昼下がり、次郎長は菊畑に降り立った。次郎長は背を丸め、あたりの様子を窺った。学舎の方から、読み本を読み上げる学童の声が聞こえてきた。
次郎長はなぜか、「へっ」と笑うと、裾を捲り、手と膝をついて四つん這いになった。
もはや四囲から次郎長の姿は見えない。そうして次郎長は目の前にある立派な菊の根方に手を掛けると、これを、ぐいっ、と引いた。といって根が抜けるまで引くのではなく、根は確かに切れているのだけれど、幹は倒れないで立っているくらいに力を加減して引いた。
「これでよし」
呟くと、次郎長は四つん這いのまま少し進んで、また別の菊の根方に手を掛けて引いた。
半刻許。次郎長は菊畑を這い回って、入ったところの反対側からするりと抜け出た。
次郎長は裾を払い、手を払って言った。
「今日はこれくらいにしとくか」
その日を入れて三日間、次郎長は菊畑を這い回った。