思い通りにならない自分とどうつきあうか
そもそも、自分は思い通りにはなりません。「思い通りになる」と思ったときはすごく傲慢になっているときです。「思い通りにならなくてイライラする」ということは、自分が完璧に近づいているという勘違いをしているときです。
あるとき、妹に「お姉ちゃんは自分が神さまのつもり?」と言われたことがありました。そんなことは全然思っていなかったのですが、だんだん、いろいろなことが「ああ、わかった、わかった」と思えて、順風満帆に進んでいるときで、傲慢になっていたのでしょう。
思い通りにならないとたしかにイライラするし、しんどいです。
でも、そういうときこそ自分の弱さを知るときなのです。「思い通りにならない」イコール「人の弱さ」だからです。人間なのだから思い通りになるわけがないのです。そして人の弱さは悪いことではなくて、人間らしさです。人間らしいということは、伸び代がたくさんあってこれから成長する人、勉強をし続けられる人だということに、私は気づいたのだと思います。
完璧を求めても、コンピュータにはかないません。完璧なんてロボットにまかせればいいのです。人間が人間らしくていいと思えるのは一人ひとり、味があって、弱いところなのです。
思い通りにならないからこそ人間は努力するし、理想を追い求めるのです。思い通りにならないのはラッキーなことです。そこに気づけたらラッキーなのです。
だから、思い通りにならなくて、イライラして、苦しんでいる自分がいたら、「わーっ、ヨワッ、私」と思えばいい。
でも、弱いということは人から愛される要素でもあるのです。
なぜ「弱いのはダメだ」と思ってしまうのか
人は、自分の弱みが一番の強みになったりもします。
弱いお母さんが背伸びしないでいると、子どもに「お母さんを自分が支えよう、しっかりしよう」という気持ちが芽生えて、伸びますよね。
ですから、「本当は弱いんだけど、でも、なんとか生きているのよ。だから、あなたも弱くていいのよ」みたいなことを言えるといいのですが、「私はこんなに頑張っているんだ」と言い続けるお母さんがけっこう多いのです。
そういう背伸びをする親の弱さを子どもは知っているので、甘えられないというケースがけっこう多いです。「あなたはここができてない、あそこができてない。私はこんなに大変なのよ」と言われると、子どもは親の余裕のなさを感じとって、弱音を吐けなくなるのです。
弱さを悪いものととらえがちなのは、日本人に、「耐え忍ぶのが格好いい」みたいな文化があるせいかなと思います。
カウンセラーの下園さんは、「日本人は農耕民族だから」とよく言います。
みんなで田植えをしているときに、熱があるからといって自分だけ家に引きこもったら村八分にされますよね。だから、身体がきつくても出て行ってみんなを手伝います。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。