【登場人物】
富永京子
立命館大学産業社会学部准教授
1986年生まれの社会学者
清田隆之
桃山商事・代表
1980年生まれの文筆業
森田雄飛
桃山商事・専務
同じく1980年生まれの会社員
ワッコ
桃山商事・係長
1987年生まれの会社員
遠回りにメッセージを伝える
清田 「恋愛とわがまま」について、社会学者の富永京子さんと語るこの短期連載、引き続きワイワイ恋バナをしていきたいと思います。
富永 よろしくお願いします!
森田 前回は、ワッコが「イヤな男性上司のゴミ箱を毎日1cmずつ遠くに移動した」という話や、専業主婦の女性が「夫の反対を無視して犬を2匹飼った」というエピソードを紹介しました。
ワッコ それだけだと何がなんだか……(笑)。でも、わたしのあの行動を富永さんが「わがまま」として捉え直してくださったのは嬉しかったです。当時はまだ入社一年目で、会社の中で不満を言えるような雰囲気はなかったので、鬱憤がすごかったんですよね。前回も話しましたけど、会社では一人前になって初めて自分の「わがまま」を言えるという空気を感じます。
富永 そういう空気は、どこにでもすごくありますよね。
清田 立場が絡んでくるとなおさらですよね。上司と部下という関係だと、「わがまま」など到底言えない。自分もかつて勤めていた会社で社長への言いづらさを抱えてました。その会社は学生時代の友達と立ち上げた会社なので、社長といっても友達だったんですけど。
ワッコ どういう不満があったんですか?
清田 わかりやすいのでいうと、「キーボードのエンターキーを押す音がうるさい」とか。
ワッコ 割と些細なことですね(笑)。でもいますよね~、「やってる感」に酔ってる勢。
清田 エンターキーを押すたびに「ッターン!」っていう音が響いて、そこから勝手に「俺は今動かしてるぜ!」という自意識を感じ取ってしまっていた。
富永 社会を動かしているってこと?
清田 そうそう、経済回してるぜ〜っていう感じ(笑)。とにかくその音が気になってしょうがなかったんですが、彼は聞く耳を持たない人だったので、それをどうやったらなんとかできるのかということを考えていた。
富永 エンターキーを外しちゃうとか?
ワッコ 作業が1ミリも進まない(笑)。
清田 プライドが高く、批判的な意見を向けられると身構えちゃう人だったので、そこでゴム製のカバーをレコメンドしたんです。
ワッコ メッセージ性の強いレコメンドですね(笑)。
清田 「これつけると、キーボードが汚れないらしいよ」みたいな感じで。
森田 細やかな気遣いを装ったわけね。
清田 で、一度みんなでそのカバーを導入したんですが、なんだかキーボード打ちづらいし、パコパコ言う音もそれはそれで耳障りな感じで……すぐに使われなくなってしまった。
森田 むしろ逆効果だったと。
清田 ただ、「エンターを押す音がうるせえ」というのは他の社員とも共有できていて、グループチャットのネタにして盛り上がっていたのよ(笑)。
ワッコ 共通の悪口ネタがあるとコミュニティが活性化しますよね!
清田 そうそう。そのチャットによって、不満をガス抜きしてるところは確実にあったと思う。
富永 農民運動のレパートリーにそんな感じのものがあるんですよね。
清田 えっ、そうなんですか?
富永 偉い地主さんがいて、そいつにどうにかして一泡吹かせようとするんだけど、農民はとにかく立場が弱いから何も言えない。それで、グループチャットよろしく誰かの家に集まって、地主の悪口を隠語で話したり、仲間内でしかわからないサインを使って盛り上がったりする。そういうものが連帯の基盤の一つになっている。
ワッコ 隠語!
清田 隠語が社会運動に関係するとは、思ってもみなかったです。
セクハラ権力おじさんは、チンウィズハーン
森田 ワッコは女友達数人とグループチャットみたいなLINEグループでいつも盛り上がってるけど、その中で隠語が飛び交ってるよね。
ワッコ はい。365日24時間LINEしてますからね。隠語は数えきれないくらいあるんですけど……社会運動っぽいので言うと、「チンウィズハーン」とか(笑)。
富永 社会運動っぽいかどうかはともかくとして(笑)、どういう意味なんですか?
ワッコ 友達が勤めている会社の偉い人で、性欲もりもりのセクハラおじさんがいて、元々はその人につけたあだ名です。彼は気に入っている女性社員を、自分の権力で出張に連れていくんですね。ワンチャン狙いなのが見え見えでキモいんです。このおじさんは性欲(=ちんこ)と権力(=ハンコ)の両方を持っているから「ちんこwithハンコ」だなと思って、チンウィズハーンと名付けました。語感が歴史的人物っぽくてお気に入りです。
富永 痛烈すぎる(笑)。
ワッコ このフレーズが誕生した瞬間はかなり盛り上がりましたね。
富永 隠語を使って盛り上がることによって、鬱憤が晴らせますよね。
森田 チンウィズハーンという隠語がすごいのは、至る所にチンウィズハーンがいることなんですよ。元は一人のセクハラおじさんにつけたあだ名なんだけど、実はめちゃくちゃ一般性がある。チンウィズハーンという言葉を自分の中にインストールすると、会社で偉い人を見る目が変わるんです。
富永 あいつも、あいつもチンウィズハーンだな、みたいな(笑)。
清田 世の中チンウィズハーンだらけっていう。
富永 ある意味社会運動のプロセスを経ていると言えなくもないかな。
森田 おじさんと言われる年齢になってきた自分も、「チンウィズハーンにならないように気をつけなきゃな」って思いますしね。すごい言葉だよ、チンウィズハーン。