十年ぶりに水族館に行った。
目の前を悠々と行き交う魚たち。大小の魚がよくもまあこれだけうまく共存できているものだ。これこれ、そこは水槽。海の中ではございません。飼育法がいいから……でしょうか。さらに目をこらして水槽を見ると、なんと皆それぞれに様々な形や色をしていることか。私は私、あなたはあなた、僕は僕、と胸を張り泳いでいる。
だいたい人間の姿形は、みんな同じすぎる。だから、人より少し違った容姿をしていたら、目立ってしまうのだ。障害者も健常者も基本的にヒトなんだから、そんなに分け隔ても違いもないと思う。私はいつもじろじろ見られる側にいるので、「あんたも私もあんまり変わらんやん」と言いたくなるのかもしれない。魚なら、「みんな違ってみんないい」なんて、改まって言うこともない。そして、魚には出生届や個別の名前もない。製造元も定かではない。人間はほとんどの場合、製造元がはっきりとわかってしまっている。八〇歳をとっくに過ぎた私の製造元である母は、脳性まひ者という不良品を作ってしまった罪悪心を持ったまま死ぬのだろう。私は、「その考えはおかしい」とかなりの年月をもって言い続け、行動で示してきたのであるが、もう、知るもんか!である。
幼少期は病弱な脳性まひ児をあちこちの病院にみせ、命を一日また一日と長らえることに懸命であっただろう。健常児の子育てにはない苦労もあっただろう。就学時の差別や謂れのない偏見に立ち向かいながら、生きるわが子を信じた。屈強な精神力を要しただろう。適度な環境の中で育ててくれたことには感謝の二文字でしか言い表せない。でも、私を育てる中でしか、味わえない喜びやしあわせもあったと思うのだ。
本当は親が子供に育ててもらっているのに、そこに思いが至らない。親は「育ててやった」と子に苦労や恩を着せる。そうではない立派な親もいるのだけど、親というものは、そんなどうしようもない一面も持ちあわせている。ちなみに私もそんなどうしようもない親の類だ。
三人家族の間は楽しかった子育ても、夫の死でシングルマザーになってからは苦行に感じた。十八歳まで普通の良い子だった息子が、夫の死後、迷路に踏み込んだように私には見えた。二〇一七年、夫の仕事を目標にしていた息子が二八歳で中学の常勤講師になり、やっと光は見え始めた。が、息子にしたら、この時の私の思いなんて知るもんか!であろう。いや、ちゃんとわかっていたのかな。こうして一〇年振りの親孝行にと温泉に一泊しての水族館計画を立て、祖父母まで誘って連れてきてくれたのだから。
旅行の楽しさがまだ残る桜が咲く頃、隣の市に住む知人が自宅にきてくれた。
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