いだてん』第39回「懐かしの満州」〜名乗らぬ男の物語

脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、チーフ演出・井上剛、注目のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第39回「懐かしの満州」。脳出血を起こして倒れた志ん生(ビートたけし)は一命をとりとめ、弟子の五りん(神木隆之介)に、戦争中に満州へ兵士たちの慰問興行に行ったときのことを語りだす。三遊亭圓生(中村七之助)と共に満州を巡っていた孝蔵(森山未來)は、一人の奇妙な兵士と出会っていた…



ファンファーレが告げるもの

 なんと言ってもまず驚かされたのはテーマ曲の始まり方だった。

 関東州は大連の演芸場前。絵葉書を売り込もうとした中国人が関東軍の兵隊たちに荒々しく振り払われ、売り物の絵葉書を路上に落としてしまう。すると、別の一人の兵隊が、散らばった絵葉書を拾い集めてくれる。中国人の男は、「シエシエ、兵隊さん…シエシエ」と礼を言いながら、しかし目の方はまばたきもせず、男の足下から頭までを、いぶかしげに見る。

 兵隊は拾い上げた一枚の絵はがきに見入っている。繁華街を遠近法で写した観光絵はがき。真ん中の空は青白く抜けており、何か気の利いたことを書けと誘っているようだ。手前には関東軍らしき軍人たちが闊歩しており、端には赤々と「大満州國」の文字。あからさまな大日本帝国的デザインだ。おそらく中国人の男は、内なる反感を隠しながら、あくまで日本人相手の商売と割り切って、この絵はがきを売っているのだろう。そして兵隊がこの絵はがきに目をとめたのは、おそらくはそのありふれた景色に魅入られたからではなく、穴埋め問題のようにぽかんと空いた空、遠い故郷にいる者に記すべき何かを待っているような空のせいだろう。

 演芸場の楽屋では、噺を終えた孝蔵がさっそく酒を飲んでいる。そこに、松っちゃんこと三遊亭圓生が入ってくる。「おう松っちゃん、どうだい? 一杯やってかないかい?」 すると、松っちゃんのうしろから、もう一人男が入ってくる。

 ここだ。ここで、どろどろどろとティンパニが鳴り、わたしがさんざ聞き慣れたテーマ曲のファンファーレが鳴り出す。いつもなら、横尾忠則による三本脚のロゴがくるくると派手に回るところだ。なのに、ファンファーレは、オープニングタイトルに重なるかわりに、男の登場を告げている。その男というのがまた、浅黒くぱっとしない顔をした兵隊で、華やかなファンファーレで迎えられるには到底似つかわしくない。

 おっと、つい「男の登場を告げている」と書いてしまったが、よく見ると、この場面には不思議な編集がなされている。

 まずティンパニが鳴り、スローモーションで男が楽屋の暖簾をくぐって入ってくる。次に孝蔵のアップが来るのだが、それもスローモーションだ。ただのアップをスローにして、いったい何を見せようというのか。まばたきだ。孝蔵はぱちりと、まばたきをする。とたんにショットは切り替わり、ベッドの上の志ん生がスローモーションで(あのビートたけし独特の、片目だけの)まばたきをする。まばたきからまばたきへのリレー。ここで、再びさっきの男が脱帽する。男は目を見開いて、まばたき一つしない。とたんにショットは切り替わり、五りんの顔がアップになる。五りんは目を見開いて師匠を見つめ、まばたき一つしない。見開きから見開きへのリレー。

 孝蔵=志ん生は、まばたきを欠く男と五りんに目を向け、カメラのシャッターを切るようにまばたく。そう、ファンファーレは単に男の登場を告げただけではない。男と五りんをつなぐ運命を鳴らし、孝蔵=志ん生がその運命の証人であることを告げているのである。

名乗らぬ顔

 ただでも短いテーマ曲が、いつにもまして切り詰められ、今回は風雲急を告げる話なのかと思ったら、登場した男は田舎者まるだしの熊本弁で、初対面の孝蔵に思うさまダメだしを始める。そもそも、あぎゃん走り方では、一里も走れんばい。ぎゃん上体ばそらして、ぎゃん顎ば引いて、こぎゃんです。ええ、こぎゃんです。ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんせからしか男だ。だが、せからしく走るその口ぶり身ぶりには、関東軍の兵隊には似合わぬ無邪気さが透けて見える。それにしてもあまりにずうずうしいその態度。孝蔵は男がご参考にと差し出した「ランニング」なる本を投げつけ、追い出してしまう。

 それから時が経ち8月某日、「広島と長崎に変なものが落っこちゃって、その落っこちたもんの正体がなんであるかわからないけれども、広島も長崎も全滅して、大へんなさわぎをしているというウワサ」(『なめくじ艦隊』)が立ち、不穏な雰囲気の大連の街角を松っちゃんと歩いていた孝蔵は、走ってきた何者かにサイフを盗られる。おいかけていくと、見たことのある男が、サイフを持って立っている。狭い路地でわざわざ追いつかれるのを待っていたということは、こいつはカッパライではない。カッパライのふりをして、人目につかない場所で孝蔵たちに近づこうとしたのだ。

 案の定、二人が大連から満州に入るつもりだという話をきいて、男は「おるも、ついていってよかでしょうか?」と請う。「そいつぁダメだ」。松っちゃんは即座に断る。男はさっきから名乗らない。いや名乗ることができない。松っちゃんはその理由を見抜く。「逃亡兵だよ。敵味方、両方に追われてる」。もはや名前を失った男にとっては、自分だけでなく他人の名前すら大した価値を持っていない。片方の名前は圓生と言う。片方の名前は志ん生と言う。どちらがどちらでも構わない。大事なのは相手の顔を覚えているかどうかだ。そして今、男にとって、話しかけることができるのは、敵でも味方でもない顔だけだ。敵でも味方でもないと見込まれて、二人は男に声をかけられた。そういう男と行動をともにすることは、自分たちも敵味方両方に追われることを意味する。

 松っちゃんに促されて孝蔵が男と別れようとしたとき、広い道から銃声が聞こえる。日本人が打たれ、銃の主が路地に現れた。中国人だ。思わず男は孝蔵と松っちゃんを守るように立ち塞がる。銃の主は、銃口を向けて、男の顔を見る。名前は知らない。しかし顔は知っている。かつて、その顔をまじまじと見たことがある。「大満州國」の絵はがきに見入っていた顔。「大満州國」の側の人間でありながら、中国人の自分に情けをかけた顔だ。

 あのとき隠していた感情が、今は銃の形になって大日本帝国に向いている。だが、情けをかけられた借りが、引き金にかかった指を抑える。「次は殺す」中国語で言い捨てて、銃の主は去った。

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今週の「いだてん」噺

細馬宏通

近現代を扱ったNHK大河ドラマとしては33年ぶりとなる「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。伝説の朝ドラ「あまちゃん」と同じ制作チーム(脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛)が、今度は日本人初のオリンピック選手・金栗四三と、6...もっと読む

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コメント

korumoha もういちど読む。 https://t.co/RZxCurz36g 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

tsukin_yang そう。私もそうやって観ていた。セリフの向こう側にあるものを感じていた。読んでまた泣けた。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

hitoshione 細馬さん、素晴らしいレビューありがとうございます。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

iglekotthetaren 「いだてん」39回「なつかしの満州」を細部まで再現している、でも、肝心のところはグッと抑えてある。多くの人に観て欲しい「いだてん」→ https://t.co/EbliYIJHSQ 約2ヶ月前 replyretweetfavorite