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きゃらぶきは蕗の笛のこと古里で祖先が子孫を四六時中呼ぶ
五十八で会社を退職し、これから一人で悠々自適に暮らしていこうと思っていたら、実家で一人暮らしをしていた父が、「二人で暮らそう」と言ってきた。男二人で……と躊躇したが、父は実は寂しいのだろうと、借家を引き払って実家に戻ることにした。
それから、僕は毎朝五時起きで弁当を作ることになった。そして十月から五月くらいまでは週末に、大量のきゃらぶきを作ることに。なぜなら、父が「俺はきゃらぶきがあればご飯何杯でも食える」という大の蕗好きだからだ。
蕗はアク抜きに加えて筋取りの下ごしらえが面倒だと思われがちだが、僕はこの筋取りが、なぜか好きでたまらない。一本一本、途中で切れない蕗の筋を、僕は宝物のように丁寧に、庭の枝にかけておく。ときどき小鳥がそれらを咥えて何処かへ飛んでいく。
雛菊さまの御髪は一本一本が羽衣の糸のようで、この世のものとは思えぬお美しさだ。梳(くしけず)るお役目を申し付けられ、身に余る喜びだ。かように光り輝く御髪が櫛に残ると、わたしは捨てることあたわず、御庭の枝に宝物のごとく丁寧にかけおく。
しばしば小鳥がそれらを咥えて何処かへ飛んでいく。巣作りに用いるというならば、やんごとなきしとねとなるであろう。
ビルの螺旋の非常階段は、最上階から先は雲へと透明にねじり上がってゆく。雲間から突然はっきりとした姿になって、小鳥たちが次々と、一本一本嘴(くちばし)に咥えてやって来る。
小鳥たちが口々に咥えてくるものは、成仏できた魂たちの、つかの間の揺りかごを作る。ここで十分に眠れたら、魂は空に溶けてゆくのだ。
蕗の香は室町時代の大通りのすれ違う男女の袖の匂い
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