道具としての関係性からいかに脱却するか
対話について、少し雰囲気がつかめたでしょうか。
先の兄弟の対話の中で、次男がどんなに優秀であろうと、技術的問題として、「組織論」や「チームマネジメント論」、「コミュニケーション術」、「交渉術」などを駆使しても、問題は部分的にしか解決しなかったでしょう。なぜならば、そのアプローチの前提には、「兄が社長にふさわしいか(問題がないか)」という前提があり、さらにその前提には、自分がよいと考える基準に沿って、相手を一方的に評価するという関係性が成り立っているからです。
その状態では、お互いに反発が生じて、お互いの持ち分を生かし合うことができないでしょう。
では、対話によって2人の新しい関係性はどのように変わったのでしょうか。
かつては「兄と弟」であった関係は、お互いに仕事をするようになって、今度は会社の重責を別々に担う関係に変わりました。その中で、弟は兄を評価する視線を向けるようになっていったわけです。これが、対話を通じて、「社長になろうとする兄とそれを支える弟」という関係性へと変化していったのです。
本書の中で「対話」の重要な概念である、哲学者のマルティン・ブーバーは、人間同士の関係性を大きく2つに分類しました。
ひとつは「私とそれ」の関係性であり、もうひとつは「私とあなた」の関係性です。
「私とそれ」は人間でありながら、向き合う相手を自分の「道具」のようにとらえる関係性のことです。例えば、私たちがレストランに行ったとき、「店員」さんに対して、一定の礼儀や機能を求めることはないでしょうか。
お金を払っているのだから、「店員」なのだから、要望を言えば、水なり料理なりを提供してくれる。そして、その人の年齢がいくつであれ、性別がなんであれ、「道具的な応答」を期待しています。
ビジネスにおいて、このような関係はよくあることです。友達ではなく、仕事の関係なのですから、私情は抜きにして、立場や役割によって「道具」的に振る舞うことを要求する。人間性とは別のところで道具としての効率性を重視した関係を築くことで、スムーズな会社の運営や仕事の連携ができます。
逆に期待していた機能や役割をこなせなければ、信用をなくしたり、配置換えにあったり、解雇されたりします。これ自体は悪いことではありません。そのように私たちは社会を営んできました。これが、「私とそれ」の関係性です。
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