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円錐の頂点に降り立つ不死鳥この世の終わりを見届けるため
駅の南側にパン屋を開業してから半年が経つ。
最初の一ヶ月は色々なパンが売れたのだが、二ヶ月目からコロネしか売れなくなり、今やコロネしか作っていない。
朝六時に開店し、午後二時半に閉めるのだが、出せば出しただけ売れる。
一個も売れ残らない。
商売的には「上手くいっている」のだが、首を傾げてしまう自分がいる。
もちろんおいしく作っている。けれど他のパンもおいしく作った。
なぜ、コロネだけしか売れないのか。
ただ、自分もコロネが大好きで、コロネの形を見るだけで自己肯定感のようなものを感じる。つむじに似ているからだろうか。巻き貝に似ているからか。螺旋階段? 栄螺(さざえ)? 螺髪(らほつ)? ホルン? 角笛?
わたしは町を一望出来る山に登る。
スマホのカメラで撮り、帰宅してからその画像を眺める。カラーだと色に目を奪われるから、モノクロにしてみる。
やはり、建物が渦巻き状に立地していた。その中心が、自分のパン屋なのだ。
そしてもう一つの仮説を検証すべく、今までなんとなく右巻きだったコロネの巻きを左巻きにしてみた。
案の定、一個も売れなかった。
北半球では海流は全体として右巻き、大仏の螺髪もほとんどが右巻きと、聞いたことがあった。
何らかの自然の摂理なのだろう。
この店のコロネが売れるのも、この町の人々の嗜好というより、自然の摂理なのだ。
そう理解し、わたしはそれから毎日、右巻きのコロネを作り続けた。自然の摂理の一部として。
右巻きに作られた渦はつまり、力を渦の発端に集めるのだ。左手の親指の付け根がじんじん痛む。そこを中心として右巻きの渦を右の人差し指で描く。案の定、疼きは一瞬で消える。
外から鳶(とんび)の声がする。
海沿いのこの町の日常の音だけれど、あまりに鳴き声が近いことに驚き、わたしは外に出て様子を見る。
玄関の前にお客さんのようにいた鳶は、やおら全身の筋肉を覚醒させて空を漕ぐように羽根を上下させ、十回足らずの上下運動でふっと上昇気流に乗り、遠く、遠く、点になる。
惹き付けられて見つめていると、点は極限まで小さくなりきってから、右回りに回り始めた。
鳶の軌跡が左巻きの渦を描いていることに気づいたのは、既に数回回った後だった。
耳鳴りがする。
それにピーヒョロロという鳶の鳴き声が重なり、頭の中が膨らんで頭蓋骨が中から外に圧迫される。脳細胞同士が引き離され、脳が冷えてゆくような危機感をどうすることもできない。収縮とは逆の、膨張による頭痛。思考や記憶まで引き伸ばされるようで、吐き気がしてしゃがみこむ。しかし足もとが地鳴りを起こしている。
視線を地面から上げると、圧縮されていた建物の間に急速に隙間ができ、風景というより画素にしか見えなくなる。
画素数は次第に少なくなり、画素同士が離れてゆくに従い景色がほどけて更にぼんやりとしていく。
寒気でがくがく震えが止まらないわたしの前で、町は色や輪郭を失い、薄く靄になって消え始めている。
爪楊枝で栄螺の身を刺し取り出すと三半規管がぬるっと痛い
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