いだてん』第38回「長いお別れ」〜「天皇陛下万歳」に秘められたもの

嘉納治五郎(役所広司)の死によって求心力を失う組織委員会。日中戦争が長期化するなか、1940年の東京オリンピック開催への反発は厳しさを増していく。追い詰められたIOC委員の副島(塚本晋也)は招致返上を提案するが、嘉納に夢を託された田畑(阿部サダヲ)は激しく葛藤する。金栗(中村勘九郎)の弟子、勝(仲野太賀)はりく(杉咲花)と結婚するが、戦争が2人の将来に立ちはだかる。同じころ、孝蔵(森山未來)は志ん生を襲名する…


フルネームの人

 もし、『いだてん』劇中の他の登場人物からフルネームで呼ばれた回数を競ったなら、小松勝はベストスリーに食い込むのではないだろうか。

「小松勝…りくちゃんにほれとるばい」
「小松勝。デレデレしとったばい」
「小松勝。盛りのついた肥後もっこすばい」

 少なくとも前回のスヤの三連発で小松君の順位は一気にジャンプアップした。小松勝、思ったことがすべて顔に出てしまう。四三辛作も鈍すぎる。

 昭和12年、神宮の競技場に一着で入ってくるのを見て、金栗四三は思わず叫ぶ。「小松勝〜!」。誰の目から見ても、その姿は、いだてんの生まれ変わりだ。四三は自分が治五郎にしてもらったように、ゴールで小松君を抱きとめて、治五郎と同じことを言う。「君こそ世界に通用する、いだてんばい!」

 いや、小松勝は、いだてん金栗四三からさらに頑なさを抜いたような、気のいい男だ。昭和13年7月14日、政府が東京オリンピックの中止を決定。田畑が神宮競技場に行くと、四三と小松勝が走っている。田畑はまず四三に詫びをしてから、グラウンドを横切り、なおも走り続けている小松君に向かって叫ぶ。「返上!だからもう、はしらんでよか!」すると、立ち止まった小松君は考える。「返上…返上…返上なら、オリンピックはやりますよね?」そう答えを出してから、心から安心したように言う。「たまがった~。中止っておっしゃるから。そぎゃんこつなら、おらあヘルシンキへ出るばい。それだけのことたい」。小松君はさっそく気持ちを切り替えて走り出す。「戦争がおさまらんと、オリンピックにはでられんぞ」。四三がそう呼びかけても、小松君の走りは止まらない。そこには、同じフィールドで銃剣を手にして訓練にいそしむ者への引け目は、感じられない。小松君は、走ることが自分の本分と心得ている。

 小松勝、とフルネームで呼びたくなるような若さと愛敬と素直さが、小松君にはある。けれど、昭和18年、学徒出陣。とうとうその小松勝に、召集令状が来てしまった。

 小松君の出陣が決まった日、いつもは明るい播磨屋の一階もさすがにみな消沈している。小松君は、自ら促して、いつもならスヤが音頭をとる自転車節を歌い出す。自転車の車輪はミシンの輪、ペダル踏む足は踏み板踏む足、いまや自転車節はスヤと四三の歌であると同時に、りくと小松君の歌である。だがしかし。りくと小松君のあいだには、りくを溺愛する増野がいる。増野。フルネームで書きたいが、増野には名前がない。その名前のない増野がいきなり土足であがってきて、小松君を足蹴にする(柄本佑の迷いのなさ!)。「約束を破ったね!」。りくを幸せにするという約束を破ったら「君を殺すよ」、かつて増野はそう言った。増野は小松君を殺しに来たのだ。しかし、四三たちに羽交い締めにされ、子供たちに「ばってんばってん!」とバッテンをつけられ、増野からはあっけなく殺意が失せる。とどめに小松君がそばにいる子供に「金治…」と声をかけると、力なくへたりこんでしまう。無理もない。名前のない増野が、名前のある子供に勝てるわけがない。

 「勝君」。増野は改めて呼びかけた。「立派に戦ってくるんだぞ。お国のために」。そして再び立ち上がると、ついにはフルネームで静かに呼びかけた。

「小松勝君」

 当時、義父が召集を受けた義理の息子を改めてフルネームに君づけで呼ぶとき、次にどんなことばが続くかは誰にもわかった。四三も辛作も、目をつぶってそのことばを待っている。増野は絶叫する。

 ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい…

万歳の起源と変化

 唱和のことばとしての「万歳」の起源は諸説あるが、こんなときに頼りになる石井研堂『明治事物起源』によれば、明治22年、憲法発布の観兵式の日に天皇陛下を奉迎することばとして発せられたのが始まりという。明治38年の新聞記事はさらに、このとき考案された万歳について「天皇陛下、萬歳、萬歳、萬々歳と唱え、而して第一と第三の萬に力を入れる」(東京朝日/明治38年10月21日)と記している。つまり、もともとは万歳の「バン」の方に力を入れて「ばんざい」と言ったらしい。しかし、唱和しやすくするためだろうか、いつからか後半を「ばんざーい」と伸ばす発音になったようだ。明治38年の時点では、万歳は「我が国において祝意奉唱語として」天皇陛下の奉迎という文脈を離れ、広く普及していた。そういえば明治45年、ストックホルムに金栗四三たちが旅立つシーンでも、皇居での万歳三唱とは別に、新橋駅で「敵は幾万」の演奏とともに、いたって明るい「ばんざーい」が行われていた。しかし、日露戦争や日清戦争で戦地に肉親を送る際に発せられる「万歳」は、単に「祝意奉唱」の朗らかな声ではなかっただろう。

 昭和16年、日常の挨拶に始まり、起立着席のふるまい、軍旗や軍艦旗や国旗の扱い、祝祭日の儀式など、さまざまな決まり事が「礼法」として国から示された。文部省発表の国民心得「礼法要項」(昭和16年)である。すでに述べたように、唱和として万歳は明治の発明で、古来から作法があったわけではない。しかし「礼法要項」には万歳についても細かい作法が取り決められている。ともかく、「文部省交付礼法要項基準 国民新礼法読本」(昭和16年)にある万歳の「礼法」を、箇条書きで抜粋してみよう。

・萬歳奉唱に当つては、姿勢を正しく脱帽し、両手を高く挙げて、力強く発声、唱和する。
・萬歳唱和後は、拍手・談笑等、喧噪に渉ることのないやうにする。
・萬歳唱和を以て祝はれた人は、謹んでこれを受ける。
・天皇陛下の萬歳を唱へ奉る場合は、三唱するが、その他は、すべて一唱とする。けれども、一般の場合の萬歳は、単に一回に止めないで、二、三回繰返して差支ない。その仕方は、(萬歳)唱和、「何々君萬歳」とかうして一回の萬歳を唱へ終つた後、さらに「何々君萬歳」といふやうな例である。
・但「何々君の萬歳」その場合は、三唱と云はず「三回行ふ」と言ふ。「三唱」とは天皇陛下萬歳及び大日本帝国萬歳のみに用ふる言葉である。

 この礼法によれば、万歳三「唱」は天皇陛下と大日本帝国に対する万歳のみに許される言い方で、庶民の万歳は「回」で数える。そして、万歳はせいぜい二、三「回」だというのである。そして、万歳に伴う「拍手・談笑」のような朗らかな表現は避けられる。

 ドラマの中で増野が「小松勝君」に送った万歳は、まさにこの礼法にある「「何々君萬歳」とかうして一回の萬歳を唱へ終つた後、さらに「何々君萬歳」といふやうな例」である。ただし、それは三「回」どころではなく、何度も繰り返された。近しい者たちが、顔の見える相手に万感の思いを込めて唱える万歳は、三回では終わりえなかった。

天皇陛下万歳

 昭和18年10月21日、出陣学徒壮行会が神宮の競技場で行われた。嘉納治五郎がオリンピック開催の夢見て建設を思いつき、関東大震災後はバラックとして人々が住まい、復興大運動会が行われ、1940年に東京でオリンピックを開催する際の予定地だった神宮競技場、金栗四三が何度も回ったそのトラックを、出陣する学徒たちが黙々と行進していく。折からの秋雨でその足下は泥に濡れ、トラックに貯まった雨水に行進の姿が反映される。文部省映画「学徒出陣」にも映されているその印象的な反映は、レニ・リーフェンシュタールの「オリンピア」を彷彿とさせる。

 実は、記録映像と『いだてん』の映像とには、一つ大きな違いがある。記録映像では、集まった観衆は主に拍手を行っているのだが、『いだてん』の壮行会では、観衆が何度も万歳を繰り返している。明らかにこれは、先の播磨屋での増野たちの万歳と対比させるべくなされた演出だろう。播磨屋では、お互いに顔の見える場所で、近しい者による万歳が行われた。しかし、万単位の人がフィールドに集った壮行会では、もはや誰が誰に万歳を送っているかも定かではない。

 大観衆が万歳を唱和するなか、スタンドの田畑は、万歳をすることができない。もはや新聞は兵器なり。自分はなすすべもない。しかし、朝日新聞社でみなが真珠湾攻撃の報せに万歳をしているときも、仮面の張りついたような顔になり、「ばんざーい」という唱和からはぐれるように「ばんざい、ばんざい」と短く語尾を切り上げていた田畑だった。いまさらここで万歳に和すことができようか。田畑は、会場を立ち去ろうとする河野一郎の姿を見つけると、彼を追いかけ、スタンド裏のくらがりで言う。「俺はあきらめん。オリンピックはやる、必ず」。そして、万歳がこだまするスタジアムを指していう。「ここで!」

 田畑のことばを踏みしだくように、スタジアムの行進は泥水を打つ。その行進の中に、小松勝の姿がある。勝が観客席間近を通り過ぎるとき、四三はその姿に当てて必死で万歳の声を送る。勝は、まるで近しい人の声に気づいたかのように、一瞬スタンドを見る。しかし、個人の声と姿は、スタンドに集まった五万の観衆の声と姿にかき消される。小松勝はもはやスタンドを振り返らない。高々と踏み降ろす脚の衝撃で頬を揺らしながら、ひたすら前を向いて行進していく。

 学徒が整列する。壇上で時の内閣総理大臣東條英機は、両手を広々とゆるやかに挙げ、「天皇陛下、ばんざ—い」と後ろを長々とのばして慇懃に叫ぶ。五万の観衆と三万の学徒がそれに唱和する。小松勝もこの万歳に和す。個人から個人へ「回」を繰り返す万歳とそれに伴う感情は、天皇陛下への「三唱」という厳かな形へと統制されたのである。

 (続く)

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今週の「いだてん」噺

細馬宏通

近現代を扱ったNHK大河ドラマとしては33年ぶりとなる「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。伝説の朝ドラ「あまちゃん」と同じ制作チーム(脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛)が、今度は日本人初のオリンピック選手・金栗四三と、6...もっと読む

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コメント

kaerusan 万歳三唱令なる偽書が話題になった先週でしたが、ここで「いだてん」における万歳について考えてみるというのはどうでしょう。https://t.co/fFcyuRjYZm 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

walker_hotate 万歳の作法と言えば、最近はこれを読んだ。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

kaerusan 第38回と照らし合わせて読んでいただければ、なぜ第39回の原稿である固有名詞を使わなかったのか、わかっていただけるかと思います。 https://t.co/fFcyuRjYZm https://t.co/IEXpcM3lP6 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

otmovie20503 "個人から個人へ「回」を繰り返す万歳とそれに伴う感情は、天皇陛下への「三唱」という厳かな形へと統制されたのである。" 約2ヶ月前 replyretweetfavorite