退院できたのは、死産の日からちょうど一週間後だった。母と孝昭に付き添われ、やっと我が家に帰ってきた。
居間には骨壺が置かれていた。
片手にすっぽりと収まるほどだった。小さかった美音子がさらに小さくなってしまった。母は骨壺を見て涙を流した。帰り際、佐和子の手をぎゅっと握ってくれた。しわだらけの手はとても温かかった。
冷蔵庫にはタッパーがたくさん入っていた。義母が作って持ってきてくれたという。クリームシチューや揚げ出し豆腐……、佐和子の好きな手羽先の煮物もあった。炊飯器ではグリンピースご飯が炊かれ、鍋にはおじやの用意がしてあった。
この一週間、まともに食べていないことに、やっと気がついた。孝昭が慣れない手つきで鍋に卵を入れ、おじやを作ってくれた。ふらつく身体で、佐和子も準備を手伝った。なるべく、にぎやかな食卓にしたくて、たくさん皿を並べた。
食卓に骨壺を置いて、夕食をとった。おじやが塩辛い。孝昭が醬油を入れ過ぎたのか、涙のせいなのかわからなかった。口にものが入るのだから、体調は少しましになったのかもしれない。そう思うと、逆に美音子に申し訳ない気もするのだった。自分だけ元気になって。
体調も回復し、日常が戻ってくると、あれで正しかったのだろうかという思いが強くなった。
突然、胎内で亡くなっていると宣告され、何がなんだかわからないまま身体にいろいろなことをされ、結局我が子は灰になって、小さな壺の中に収まっている。
いったい、何がいけなかったんだろう。
しょっちゅうバスで揺られていたから? 駅前のファミリーレストランでグラタンを食べた時、良くないものが入っていたのかもしれない。あの値段であのボリュームは疑うべきだった。それとも、床の新聞を拾おうとしてこけた、あの時の衝撃かもしれない。
佐和子は何か原因をさがした。そうしないと、どうしても納得ができないのだった。先生や看護師たちは、運が悪かっただけ、お母さんのせいじゃない、と繰り返すけれど、簡単な言葉でいいくるめられている気がする。
奈美から電話があった。
「どう、少しは落ち着いた?」
「うん。まあね。でも、やっぱりまだまだ、自分を責めちゃう。もっと早く気がつけば、助かったんじゃないかって」
あふれ出てくる気持ちを奈美にぶつけた。当事者ではない分、遠慮なく話すことができる。奈美は、延々と続く否定的な言葉を辛抱強く聞いてくれた。
「佐和子は最後に美音子ちゃんと会えたんでしょう? そこは感謝すべきだよ。実は、私のいとこも一度経験してるんだけどさ、彼女なんて昏睡状態になっちゃって、十日近く意識がなかったから、自分の赤ちゃんに会えずじまいだったんだよ。へその緒ももらわなかったから、自分の赤ちゃんには何ひとつ触れられなかったの」
「へその緒? それ、死産でももらえるの?」
「うーん、きちんとしたことはわからないけど、病院によるんじゃない? ……佐和子ももらわなかったんだ」
「もらってない。そんなこと、誰も教えてくれなかった……」
ショックだった。生きて成長していく子供と違って、形になっているものがひとつもないのだ。せめて、そういう具体的なものが残されていれば、時々触って確かめることができるのに。
夜、孝昭に話すと、少し困った顔をして、おれから病院に問い合わせてみるよ、一応な、といった。遺体を早めに火葬させたがるぐらいだから、残っていないことは予想できた。わかっていても、ひとつずつ意思表示をしていかないと、心が折れてしまいそうだった。
外出できるようになると、子供連れの母親に出くわすだけで胸が痛んだ。検診で病院に行くのは、もっと嫌だった。毎日いくつもの新しい命が誕生している場所に自分がいることを申し訳なく思ったり、どうして自分だけが、と腹立たしい気持ちになったりする。
佐和子の心には、説明のしようがない劣等感が張りついた。
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