夜、陣痛が始まった。強烈なお腹の張りが、正常なのか異常なのか、初産の佐和子にはわからない。ナースコールを押していいものかどうか、迷った。どうせ病院にとって自分は厄介者なのだ、とつい思ってしまう。
定期的にやってくる強い痛みの間隔がどんどん短くなっていった。天井が歪んで見えた。痛みで苦しみながら、これは赤ちゃんが「私は生きてるよ! まだ、お母さんから出る準備ができていないだけだよ! 間違えないで!」と叫んでいる気がした。こんなに痛いのだから、きっと生きているはずだ。
出血があって、パジャマもベッドも汚してしまった。遠慮している余裕もなくなり、ナースコールを押した。昼間とは違う看護師が来たが、話しているあいだに痛みは収まった。
そんなことを繰り返し、朝になった。午前十時半頃、分娩室に入る。運ばれていく途中、別の分娩室から元気のいい産声が聞こえてきた。今自分がここにいることをせいいっぱい知らせるすがすがしい泣き声は、佐和子の心の奥を殴った。自分の耳を切り落としたいと思った。若い医師は相変わらず不機嫌で手際が悪かった。陣痛促進剤の点滴を受けた。それから後の記憶もまた、途切れ途切れだった。
とにかく痛かった。身体を引き裂かれるような痛み。呼吸もままならなかった。
「出たよ、出た!」
若い医師がいった。耳を疑った。
——出たんじゃない、産まれたのだ。私が産んだんだ。
午後零時五分、我が子は遺体としてこの世に現れた。産声はなかった。女の子だった。美音子という名をつけておいて良かった、と佐和子は思った。看護師の一人が、おつかれさまでした、とひと言いって、他の看護師は皆、黙々と作業をしていた。美音子はもののように銀色のトレイにのせられて、どこかに消えていった。音がしそうなぐらい胸が痛くなった。
ベッドに戻ると、一気に疲れが出て、うとうとした。目が覚めると孝昭が死産証明書に記入をしていた。
「あのさあ……、お前、そのぉ、どうする?」
「どうするって、何が?」
「うーん。会いたいよな、やっぱり」
孝昭はさっき美音子と対面をしてきたという。きれいな赤ちゃんだったよ、といった。病院側からは、お母さんに会わせるのはよく考えて判断をしたほうがいいとアドバイスを受けたらしい。我が子に会いたくない母親なんているのだろうか。はらわたが煮えくり返った。
孝昭がいった。
「冷たくなった赤ちゃんと対面するとショックで気を失っちゃうお母さんもいるんだって。お前、だいじょうぶか?」
「だいじょうぶも何もないよっ。失神したって美音子に会いたい。六ヵ月間、一緒に生きてきたんだから」
つい声を荒らげそうになった。
麻酔が残っていてふらふらだったので、「入院のしおり」をくれた看護師に車椅子を押してもらい、美音子のところまでいった。
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