父の莫大な負債と死が、経営学者として何をやるべきかを教えてくれた

忖度、対立、抑圧……。どうして職場で正論が通用しないのでしょうか? あらゆる現場で起きる「わかりあえなさ」から始まる諸問題は、ノウハウで一方的に解決できるものではありません。
立場や権限を問わず、ノウハウが通用しない問題を突破する、組織論とナラティヴ・アプローチの超実践的融合とは──
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父について、あるいは私たちについて

 1月の夜、母と私の2人は、父の担当医に呼ばれ、説明を受けるために医局室に座って待っていた。担当医は、神妙な面持ちで2枚のレントゲン写真を提示した。父の肺の写真だった。そこには、転移したガン細胞がはっきりと写っていた。

「先日レントゲンを撮影した際に、念の為、肺の写真も撮影したところ、ここと、ここに転移が認められました」

「はい」

「あと1ヶ月、3ヶ月は難しいと思います。肺のガンが大きくなると、呼吸が困難になることで苦しむことが予想されます。最大限、苦しみを緩和できるように全力を尽くします」

「……はい、お願いします」

 私は、何も考えることはできなかった。

 なぜ、父の容態がこのように急変するかについて、論理的な説明は可能であろう。何十年も前に輸血で感染したと思われるウィルス性肝炎が悪化し、肝臓ガンが生じ、それが転移し、死に至ることが確実となった、ということである。その説明は明確に理解できた。

 しかし、まだ自分の中に、その現実の居場所を見つけることはできなかった。だが、そんな猶予などなく、父の死は現実として迫っているのも事実だった。

 戦前生まれの父は、私を幼少の頃から、長男として大きな期待を寄せて育てた。集団疎開に行った話、昼間は働き、夜学で大学に通った話、大学に通っている最中に肺結核になって倒れた話、「お前には話していない苦労はたくさんある」と、日頃から語っていた。そんな父に私は尊敬と畏怖の念を持って生きてきた。しかし、その父が死ぬことが迫っていた。

 父の死は、単に一人の愛する家族の死という意味にとどまるものではなかった。

 父は小さな会社の経営者であった。父はバブル期に大手の銀行に株取引をそそのかされ、その結果、莫大な負債を負った。私たち家族は、そのバブルの敗戦処理をしなければならないという荒波の真っ只中にあったが、父の死という新たな大嵐が、さらにやってきたのであった。

 私たち家族は、小さなボートであったが、父という漕ぎ手を失い、このまま海の藻屑として潰えてしまうのだろうか。私は、父という仰ぎ見る存在を失って、一体どう生きていったらよいのか。

 だが、私は諦めるとか、それをなげうつことはできなかった。現実としてできなかったし、精神としても、またそれはありえない選択であった。もはやこの現実から逃げ出すことはできないのである。私が逃げ出したときは、一家離散、あるいは、死ということを意味していたからである。

 これは大げさに聞こえるかもしれないが、紛れもない現実であった。中小零細企業の経営者は、自分の住む家を抵当に入れていることが多い。家を失い家族がバラバラになった人が何人もいることを父から聞かされてきた。

 生前に父と、当該の銀行が主催のパーティーでの集合写真を見ながら話したことがある。父と同じような境遇に置かれた人たちの写真である。まだその先に何が待っているのかを知らぬ人々の嬉々とした顔がそこにはあった。その後、その半数近くもの人が自ら命を絶ったということを父から聞かされて、私は驚愕した。

 父はそのような危機を回避すべく、自らの死の数年前から対策を講じ始め、私は弁護士事務所回りに付き合い、絶望的な話を聞かされ続けた。大変に苦しい時間を過ごした。私はその中で精神を擦り減らし、自ら命を絶って楽になりたいと思ったことは、一度や二度ではなかった。

 つまり、父が死ぬということは、私たち家族が中心人物の喪失と莫大な負債という大きな問題に、全面的に立ち向かわなければならないことを意味していた。そして、3人姉弟の長男である私は、まさにその矢面に立つことは避けられなかったのである。

私が父であったならば、どうであっただろうか

 3月末、父は私たちとしばしの別れを告げた。

 幸い、肺に転移したガンは大きくならず、父の最期は安らかであった。

 父の死後、数ヶ月を経て、本格的な戦いが始まった。連日、様々な利害関係者と、崖の縁に立たされたまま金の話をし続ける。それは言葉に尽くせぬ、辛く苦しい日々であった。

 そんな中で、父をそそのかした銀行の人々に「なぜこんなにひどいことをしたのだ。父は病で亡くなったが、命を絶った人々はあなたたちが殺したのだ。父もこんな状況でなければ、もっと時間もお金もかけた治療ができて、生きていられたかもしれないのに」と深い憤りを覚えた。

 また、父に対しても激しい怒りが芽生えていた。「なぜあなたは、こんな苦しみを家族に負わせて逝ったのだ。あなたがそそのかされても手を付けなければ、こんな苦しみを味わうことなく過ごせたのに」という怒りである。

 その憤りや怒りは、自分を消耗させた。そして、どこかで私の中に、違和感を残していた。その違和感とは何だろうかと自問自答を繰り返していたが、あるとき、ふと気がついた。

 私がその銀行の人間であったら、私が父であったならば、どうであっただろうか、ということである。私も彼らのように振る舞う可能性はあったのではないだろうかと思ったのである。

 銀行の人々も、決して悪い人間ではなかったはずだ。

 家に帰れば、善き父だったかもしれないし、善良な人間として、もしかすると、自らの為したことに痛みを覚えていたかもしれない。いくつかのバブル期を描いた小説には、そうしたことに苦しむ銀行員の姿が描かれていたことも、そのことに私が目を向けさせることを手伝った。

 私も同じ立場であったならば、もしかすると、同じようなことをしていた可能性を完全に否定することはできない。私も、彼も、一人の弱い人間なのだから。

 父もそうだ。

 父は戦前の生まれで、苦労をしながら起業し、そして、事業を営んできた。銀行にそそのかされて取引を受け入れたのは、自らの努力がやっと人から評価され、報われたという思いもあったのだろう。バブルよりも以前には、都銀は零細企業などまるで相手にしてこなかった時代を過ごしていたのに、ある日から東京中の支店長に頭を下げられたときのことを思えば、私も同じようにしてしまったかもしれないことを認めなければならないだろう。

 父も決して家族を苦しめようとして、取引に手を出したわけではないのだ。彼は、孤独な一人の経営者だったのである。

 憎むべきは彼ら自身ではない。彼らをそうせしめた状況、彼らが組織の中で置かれた状況や取り巻く関係性である。あの当時、銀行で働いていたならば、無理にでも融資を増やさなければならない状況にあったのは間違いないだろう。その中で、私の父や他の人々は人生を大きく狂わされた。だが、そうせざるをえなかったのは、彼ら一人ひとりの人間が邪悪だったからだろうか。そうではないのではないか。彼らが、自分がやっていることの意味を相手からは考えることのできない関係性の中にいたからではないか。

 形を変えて、同じような過ち、同じような弱さから人間は逃れることはできないのではないか。

 だとすれば、私は、自分の痛みばかりに目を向けていることは、公平ではないと思った。彼らも自分もまた、関係性を生きる人間である。人間は、関係性に埋め込まれ、身動きが取れなくなる弱い存在である。その弱さは私の中にも厳然として存在している。

 その弱さが存在していることについて、私に痛みを与えたことへの責任という物語で圧殺して見て見ぬふりをしていても、どこかで残る違和感を私も認めなければならなかった。憎んでいた彼らと私は、地続きの存在であることを認めないことは、とても卑怯なことではないかと思った。


 だから、私はそこに連帯を見出すべきであると思った。連帯とは、私がもしも相手であったならば、同じように思ったり、行ったりしたかもしれないことを認めることである。私の中に相手を見出すことである。私と彼らは地続きの存在なのだ。

 だから、一方的にではあるが、彼らと和解することにした。和解とは、これで一切そのことを恨まない、これでおしまいというわけではない。彼らを赦し受け入れる道を歩む決意をしたのである。

 私がなすべきは、彼らを恨むことではない。彼らを声高に糾弾することでもない。私たちは敵と味方の関係ではないのだ。私たちはともに、弱さを生きている存在なのだ。この愚かで、弱い人間という存在は、しかし、それゆえに、よりよい関係性を生きることができれば、素晴らしい存在にもなりうる弱さを持つ、希望に満ちた存在でもあるのだ。

 私たち弱い人間が、それゆえに善き人間として生きられる関係性をいかに築いていけるのか、私は父にそのミッションを託されたのだと思っている。



 あとがきにこのような個人的なことを書いたのは、苦労自慢をしたいわけではありません。形を変えて、みな、様々な生きる苦しみを抱えているのが人間で、たまたまわかりやすい形で私はそれを経験しただけだと思っています。

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コメント

warumonogakari アジャイル関連の人も読んでほしいなぁとおもった。 本買います。 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

en_tikk 昨今安易に使われる対話という言葉。本当の対話はもっと深いものです。 https://t.co/5Zruvvvzb6 約1ヶ月前 replyretweetfavorite