富士の山というのは本当に素晴らしい山で、唐と天竺にもこんな素晴らしい山はない、と多くの人が称賛する。その富士の麓に、ひとつの村が残っている。その村の名は山本村。その山本村に一生を埋めた長五郎は名前の通りたいへんな長命。七十余歳で此の世を去った。しかし此の世を去ったその後も「海道一の親分」と言われ、その名声が今日まで轟いている。その清水港の次郎長の幼い恋の物語、悪文ながら本日も綴っていこう。
次郎長の行状があまりにもひどいので、村学先生・孫四郎のところを追い出された次郎長の行く末を慮り、次郎八と女房のお直、ふたりで話し合った結果、次郎長を禅叢寺に預けた。
この禅叢寺というお寺は禅寺で、禅の修行というのはご案内の通り、たいへんに厳しいものである。その厳しい禅寺で仕込まれれば極悪な次郎長も少しは大人しくなるだろう、とこう考えたのである。
さあそれで次郎長は大人しくなっただろうか。
この禅寺には七十人程度の子供が通っていた。七十人も子供がいる。しかもそのなかには次郎長よりもうんと年上の子供もあったし、身体の大きい子供もいた。だからそのなかには次郎長よりも強い子供がいるかも知れなかった。
そんな子供によって少しばかり痛い目にあえば次郎長も少しはおとなしくなるかも知れぬ。
或いは次郎八とお直はそんなことを考えたのかも知れなかった。
そうして次郎長が初めて禅叢寺の門をくぐった日の午後、やっぱり次郎長は、「態度がでかい」「生意気」「目つきが悪い」など難癖をつけられ、数名に取り囲まれた。
そしてなかの一番からだが大きくてつよそうなのが次郎長の真ん前に立って胸倉を摑み、そして言った。
「気にいらねぇだよ。鰌骨をへし折ってやろうか」
ところがそんな恐ろしいことを言われているのにもかかわらず次郎長はへらへら笑って脱力して、なすがままにさせていた。
「なんとか言わねぇか」
そいつはそう言って次郎長の胸倉を揺すぶった。
なので次郎長の身体がぐらぐら揺れた。それでも次郎長はなにも言わないで、相変わらずへらへら笑っている。
それをみた相手はなんだか薄気味悪くなったが、仲間の手前、いまさら引き下がる訳にもいかず、
「ふんとに折るぞ」
と拳を振りあげた、その瞬間、次郎長は相手の鼻っ柱目がけて、下から思いっきり頭突きを食らわせた。
不意を衝かれ、「あああああっ」てって、仰向けに倒れた相手の鼻から鮮血がぱっと飛び、折れた歯がバラバラッと飛び散った。
次郎長は倒れた相手に飛びかかり馬乗りになると、これをムッチャクチャに殴った。
一番強い大将をやられて他の連中はただ驚いてこの光景を眺めるばかりで手出しができないでいた。
そのうちに相手は伸びてしまう。ゆっくり立ち上がった次郎長は、振り返って他の連中に向かって、
「さあ、次はどいつだ。てって一人ずつは面倒だ。まとめて掛かってきやがれ」
と言った。
しかし誰も掛かってこない。それどころか、ジリジリ退っていく。次郎長は言った。
「どうしたい。かかってこねぇのかい」
一人が言った。
「いや、別に僕たちは……」
「僕たちはなんだったてんでぇ。俺をやっつけにきたんじゃねぇのかい」
「いや、そういう訳じゃ……」
「じゃあ、なんだってんだ」
「いや、別に、善意の第三者です」
「なんだ、そりゃ。まあ、いいやな。殴りに来たんじゃねぇのかい」
「はいっ」
「じゃあ、行けよ」
「はいっ」
そう言って一同はゾロゾロ去って行き、それから次郎長に喧嘩を売るものはなくなった。
しかし収まらなかったのはこの時に歯を折られた子供で、このことを深く怨んだこの子供はその他にも次郎長の被害にあった子供を集め、反次郎長同盟を結成、表向きは坊主の言うことを聞いておとなしく授業を受ける振りをしながら、窃かに次郎長を襲撃する機会を窺っていた。
次郎長はそんな計画が練られているのをちっとも知らず、毎日楽しく暴れていた。
そんなとき、「次郎長くん、気をつけた方がいいよ」とそっと耳打ちする者があった。
暴れ者の次郎長にそんなことを教えてくれたのは誰か。
それは、あの福太郎であった。福太郎は、例の子供・周吉が、既に二十人近くに声を掛け、今日明日にも次郎長を襲撃する計画を立てていると教えてくれた。
「なるほど。やつぁ周吉ってのか。おもしれぇ、けえりうちにしてくれる」
と次郎長は言っただろうか。言わなかった。
次郎長は考えた。
一人と一人の喧嘩なら絶対に負けない。それどころか一人と五人くらいならなんとかやっつける自信はある。けれども二十人に取り囲まれて一斉に殴りかかられたら。多分、勝ち目はない。
と子供ながら次郎長は冷静に計算した。
ならばどうすれば勝てるか。
考え込んだ次郎長は、ふとあることが気になって福太郎に聞いた。
「おめぇはどうして俺にそれを教えてくれたんだ」
「それはね」
と福太郎は次郎長の顔を見つめて言った。