「僕の精神では考えられない」とか言う
「あいちトリエンナーレ」内の「表現の不自由展・その後」についてはいくつもの論点があるが、真っ先に問題視したいのは、政治家一個人が、自分の感覚を平然と「日本国民」というスケールと同化させた態度にある。この件の全体像を振り返るだけでも、いつもの連載文字数を超過してしまうので経緯は控えるが、「芸術と政治」「芸術祭と公金」といった議題を設定する以前の問題として、この態度を問うべきだと思っている。
企画展の再開が報じられた9月30日、名古屋市・河村たかし市長は「暴力的で大変なこと。表現の自由を著しく侵す」「天皇陛下に敬意を払おうと思っている多くの人たちの表現の自由はどうなるのか。僕の精神では考えられない」と述べている。摩訶不思議な発言である。そう思っている人の表現の自由は、この件では少しも制御されていない。
この展示中止のきっかけを作ったのが河村市長である。彼は、「平和の少女像」を見て「日本国民の心を踏みにじるもの」とし、主催者への抗議の電話が相次いでいることについても、「それこそ表現の自由じゃないですか。自分の思ったことを堂々と言えばいい」と煽った。展示をやめさせるタイミングでも、再開が決まったタイミングでも、「表現の自由」を自分で取り扱えるものにしたがっている様子だが、「表現の自由」とは、攻撃に使われるものではなく、おびやかされたときに守られなければならないものである、という認識もないのだろう。
「そんなわけねー」と思うのならば
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