不可能を可能にする男
これは人生のスピンアウトではないか。
嘉納治五郎のことだ。
治五郎は、物語の最初から、オリンピックに対してずっと無邪気な見方を持っていた。「面白い」、それが彼のオリンピックに対する思いの核だった。ところがその無邪気な思いが、ベルリンオリンピックを経て、軍や政府との折衝が続くうちに、失われていった。
そしていまや、かれの無邪気さをもっとも体現しているのが田畑政治だ。陰鬱なベルリン・オリンピックなど性に合わない。「戦争は偉大にして最も勇壮なるスポーツである」? まっぴらだ。陽気なロサンゼルスで唄って踊る、各国の選手が一つの村に入り交じり語って笑う。開けっぴろげで面白い、世界のお祭り。それこそ田畑の憧れだ。 その田畑が、オリンピックを返上してくれと治五郎に土下座する。片方に出征している兵士がいる。片方に派手なユニフォームを着て飛び回ってる者がいる。ドンパチやってる国で、平和の祭典が可能なものか。もう、かつて治五郎が夢想した「面白い」オリンピックなど、実現不可能なのだ。
それでも治五郎は、オリンピックにすがる。自分の手で、オリンピックを開きたい。それがどんなオリンピックであっても。そして、いま、その夢を金栗四三が駆動している。 四三が、神宮の楕円形のトラックを走っている。何度も何度も回り続ける。そのことで治五郎の夢はどんどん回転する。 かつて、治五郎が面白いオリンピックを目指していた頃、四三を見つけ、彼を「いだてん」と名付けた。いまトラックを回っているのは、その夢なのだ。それを止めることなど、できようか。「あんたも俺も、オリンピックしかないじゃんねー!」田畑は四三にそう言った。それは治五郎のことでもある。こんなときこそオリンピック。どんなときでもオリンピック。治五郎こそ、オリンピックしかない。田畑と四三は、いわば二人の治五郎だ。片方の治五郎は返上してくれと迫る。もう片方の治五郎は正しい息づかいでトラックを走る。治五郎は二人の治五郎に引き裂かれている。
そして、治五郎は田畑に決然と言い放つ。
「オリンピックは、やる!」
震災が終わったあとの復興運動会、同じ神宮のトラックをスピンアウトしてどこまでも走っていった四三のように、治五郎は、自身の夢とともにいま、歴史の必然からスピンアウトしようとしている。
しかし治五郎、御年七十七歳。待っているのは若々しいスピンアウトではない。カイロのIOC委員会は「針のむしろに座る思いでした」。あの王正廷が真っ先に反対意見を述べる。次々と挙げられる問題点に対して、治五郎は徒手空拳、答える材料を何も持ってない。ただ老体を立ち上げ「ビリーブ・ミー」、ジゴロー・カノーの身一つで、各国の委員に訴える。ラトゥールが、仕方あるまいという表情で微笑む。ぎりぎりのところで、オリンピックの東京開催は決まった。しかし、それは本当にできるのか。
銀皿のスタジアム
帰国の途についた治五郎が、氷川丸船内のお茶会で平沢和重に「人生で一番面白かったこと」を語るシーンは、大河ドラマにしばしば見られる回想のパッチワークを越え、演出を注力した名場面だった。楕円形の銀皿を、トラックに見立てるという奇天烈なアイデアを考えついたのは誰なのだろう?
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。