生命式

中尾さん、美味しいかなあ」

「夫も食べてもらえると喜ぶと思うんで」…葬式と違い、国から補助金が出る生命式。生命式とは、死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行う式で……。

『コンビニ人間』で芥川賞を受賞し、世界的な注目を集める村田沙耶香さんの最新短編集『生命式』より、表題作「生命式」を全文公開。脳を揺さぶるかつてない読書体験を約束します!

会議室でご飯を食べていると、ふいに後輩の女の子が箸を止めて顔を上げた。
「そういえば、総務にいた中尾さん、亡くなったみたいですね」
「えっ、ほんと?」
会議室に集まっていた5人ほどの同じ部署の女の子たちが、一斉に後輩を見た。
「脳梗塞だったみたいですよ」
私は中尾さんの人のよさそうな笑顔を思い浮かべた。ロマンスグレーの上品な男性で、よく私たちに取引先からもらったお菓子を分けてくれた。物腰の柔らかい、礼儀正しい人だった。定年で退職してからまだ数年しかたっていない。
「まだ若いのにね」
「ほんとよね。それって、いつだったの?」
「一昨日亡くなったみたいです。今朝、会社に電話あったみたいですよ。今夜、式をやるからなるべく皆に来てほしいって、故人もそれを願ってたからって」
「そっかあ。じゃあ、今日はお昼、控えめにしとこう。デザートはやめとこっかな」
私と同期の女性が、プリンを開けないままコンビニの袋に戻した。一つ上の先輩が、肉じゃがを口に運びながら言う。
「中尾さん、美味しいかなあ」
「ちょっと固そうじゃない? 細いし、筋肉質だし」
「私、前に中尾さんくらいの体型の男の人食べたことあるけど、けっこう美味しかったよ。少し筋張ってるけど、舌触りはまろやかっていうか」
「そっかあ。男の人のほうが、いい出汁が出るっていうしね」
プリンの入った袋を片付けていた同期の子が振り向いた。
「池谷さんも行くでしょ? 生命式」
「あーうん、どうしようかなあ」
近所のコンビニで買った海苔弁当をつつきながら、私は曖昧に言って首をかしげた。
「えー、なんでですかあ。あ、ひょっとして、池谷先輩って人肉あんまり食べない人なんでしたっけ」
「違う違う。ただちょっと、最近胃もたれしてて。それに生理だし」
「生理なんですかあ。それは確かに」
納得したように、後輩の女の子が頷いた。
「でも、生理でも妊娠できるかもですよお。行ったほうがいいですよ、生命式。受精できるかもしれないじゃないですかあ」
私は誤魔化すように笑いながら、ソースをかけすぎた白身フライをペットボトルのお茶で流し込んだ。

私が小さいころは、人肉は食べてはいけないものだった。確かに、そうだったと思う。
人肉を食べることが日常に染みついた世界の中で、だんだんと自信がなくなってくる。でも、30年前、私が幼稚園に通っていたころは、確かにそうだった。
幼稚園のころ、お迎えのバスの中で、しりとりに飽きた私たちは、食べたいものをあげていくゲームをはじめた。「くも! ふわふわしておいしそう」「あめんぼ。味が甘そうだから!」などという子に続いて、一人の子が「ぞうさん」と言った。
「大きくて、お腹いっぱいになれそうだから」
食いしん坊のその子に続いて、「じゃあキリンさん」「おサルさん」と動物の名前が続いた。
順番がまわってきた私は、「じゃあ、人間」と何の気なしに言った。
おサルさんと言った女の子に合わせた軽い冗談のつもりだったのだ。
けれど、私の回答に、バスの中は騒然となった。
「えーっ」
「怖ーい……!」
「おサルさん」と言った私と一番仲良しの子まで、鼻水を垂らして泣きながら、「真保ちゃん、なんでそんな怖いこと言うのお……⁉」と途切れ途切れの声で言った。
連鎖反応のようにバスの中でどんどん皆が泣きだして、大騒ぎになった。
事情を聞いた先生は凄い形相になって、「真保ちゃん、いくら冗談でもそんなこと言っちゃだめよ。ばちが当たっちゃうんだから!」と怖い顔で言い、私はしゅんとした。でも猿が良くてなんで人間は駄目なのか、私にはどうしてもわからなかった。
いつも優しい先生の見たこともない怖い顔と、その背後で泣き叫ぶ友達たちと、何て子供だと言いたげな険しい顔でこちらをぎろりとにらむ運転手さんの目つきを、今でもはっきりと覚えている。怖気づいた私は、一言も発することができないまま、バスの中で俯いていた。
バスの中にいるすべての人間が、その〝正しさ〟で私を糾弾していた。すっかり萎縮した私は、誰かが怒鳴り声でもあげたら恐怖が破裂して漏らしてしまいそうなほど身体をこわばらせ、息を止めて青ざめているのがやっとだった。
しかしそのころから、人類は少しずつ変わり始めていた。
人口が急激に減って、もしかしたら人類はほんとに滅びるんじゃないか、という不安感が世界を支配した。その不安感は、「増える」ということをだんだんと正義にしていった。
30年かけて少しずつ、私たちは変容した。セックスという言葉を使う人はあまりいなくなり、「受精」という妊娠を目的とした交尾が主流となった。
そして、誰かが死んだときには、お葬式ではなく「生命式」というタイプの式を行うのがスタンダードになった。昔ながらのお通夜やお葬式をあげる人もいるにはいるが、生命式で済ませれば国から補助金が出るのでかなり安くあがるというのもあり、ほとんどの人が生命式を行う。
生命式とは、死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行うというものだ。死から生を生む、というスタンスのこの式は、繁殖にこだわる私たちの無意識下にあった、大衆の心の蠢きにぴったりとあてはまった。
私は最近の人類の習性が、ゴキブリに似てきたような気がしている。ゴキブリは死んだ仲間を皆で食べるそうだし、死にかけのゴキブリは卵を大量に産むという話を聞いたことがある。もっとも、死者を皆で食べて弔うという部族はずっと昔からいたようなので、突然人間の中に生まれた習性というわけではないのかもしれなかった。

喫煙室でアメリカンスピリットの一ミリグラムに火を点けながら、山本が吹き出した。
「お前、そんな子供のころのこと、今でも根にもってんの?」
この会社のリフレッシュルーム、といっても名ばかりの自動販売機と椅子が並ぶだけのスペースの隅に喫煙室がある。ガラスで区切られた喫煙スペースの中では、違う部署の人ともよく一緒になる。山本ともここで話すようになった。
山本は小太りの男で、私より三つ年上の39歳だ。気のいい人間で、どんな話でも、笑いはするけれど笑い飛ばすわけではなく受け止めてくれる感じが心地よくて、ついつい他の人には言わないようなことも言ってしまう。
私は不貞腐れて、ハイライトのメンソールのフィルターをかみしめた。
「別に根にもってるわけじゃないよ。ただ、30年前は全然違う価値観が普通だったのに、変化についていけないだけ。なんだか、世界に裏切られたような感じがするの」
山本は睫毛の長い、小さな丸い目を瞬かせた。
「ま、わからないでもないけど。そういえば、人肉って、幼稚園くらいのころは、食べちゃいけないものだったかもなあ」
「そうでしょ⁉ 絶対そうだったでしょ? なのに、今ではみんな、食べることがすごくいいことみたいに言うじゃん。それについていけないの」
「まあなあ。で、どうするの、今夜。行く? 中尾さんの生命式」
「山本は?」
山本は、「別に人肉反対派じゃないけど、人肉食べたくない仲間」なので居てくれると心強い。人肉を食べるのが主流になった今も、根強い反対派はいて、倫理に反する、と反対活動をしているグループもある。だけど、私と山本は別に倫理に反すると思って人肉を食べないわけじゃない。山本は、小学校六年生のころ祖父の生命式で少し生っぽい肉を食べて食あたりを起こしたことがあるだけだし、私は、別に人肉を食べるのが悪いことだと思ってるわけじゃない。子供のころ冗談とはいえ食べたいと言っていたくらいなのだから。ただ、あのとき私を裁いた倫理なんてどこにもなかったんじゃないか、と憤っているというだけなのだ。
山本が首の後ろを掻きながら言った。
「行こうかなあ。受精できたらうれしいし」
「ふーん。じゃ、私も行こうかな」
煙草が切れた私は、山本のアメリカンスピリットの箱をとって一本吸った。
「美味しい? これ。弱いと、本数が増えてお金がかかるし、結局身体にもわるくない?」
「いいんだよ、俺はこれくらいが好きなんだ」
山本は美味しそうに煙を吐き出した。
煙草を吸う人は少ないので、私と山本が透明なガラスで覆われた喫煙スペースを独占している。
一畳にも満たないスペースだけれど、ガラス越しに外を見ていると水槽の中の金魚みたいな気持ちになってくる。
私は山本からもらった煙草の煙を吐き出した。私と山本は自分たちが吐き出した白い霧の中でくだらない話をしながら、鮮明な外の世界を見つめていた。

(次回に続く)
次回「皆さん、命をたくさん食べて、新しい命を作ってくださいね」は10/18(金)更新予定


今や世界が大注目!芥川賞作家・村田沙耶香自身がセレクトした12篇。文学史上、最も危険な短編集!

生命式

村田沙耶香
河出書房新社
2019-10-16

この連載について

生命式

村田沙耶香

「夫も食べてもらえると喜ぶと思うんで」…葬式と違い、国の補助が出る生命式。生命式とは、死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行う式で……。 『コンビニ人間』で芥川賞を受賞し、...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

lock_lock_66 ワクワクしながら読んでる自分が一番狂ってるかもしれない 2日前 replyretweetfavorite

ameagari_girl 村田沙耶香『生命式』試し読みでてるよ。狂気の沙汰。 https://t.co/mdNlHJ33PD 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

clockworksilica なんか突飛で面白そう。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

STMapplier |生命式|村田沙耶香|cakes(ケイクス) すごE https://t.co/wsIc73ajK3 約2ヶ月前 replyretweetfavorite