二
岩崎から聞き出したわずかな話を大きく広げて、大隈は御沙汰書らしきものを書いてみた。しかし「誰に会い、何と答えた」といった話が書けないので、どうにも具体性がない。
肝心の岩崎はその場に酔いつぶれ、大鼾をかいている。
大隈はそれを横目で見ながら、「英語ができないので通詞が必要だが、腕のいい通詞が雇えない」といった言い訳がましいことを書かざるを得なかった。
それでも、これまでの諸外国の知識を動員して体裁を整えたので、そこそこの出来にはなった。そのため岩崎は後に御沙汰書についてのお咎めを受けることはなかった。だが公金に手を付けて登楼していたことがばれ、百両余の金を土佐の商人たちから借り受け、藩に弁済することになる。
いつの間にか大隈も眠ってしまい、気づくと昼頃になっていた。
大隈は岩崎を蹴って起こした。
「行くぞ」
「えっ、どこに」
「英語教師を紹介してくれるはずだろう」
「わしが、そんな約束をしたのか」
「ああ、した。その仲介料がこれだ」
大隈が御沙汰書を渡すと、岩崎ががばと起き上がり、それを黙読した。
「ありがたい。実にありがたい」
「では、いいな」
「もちろんだ」
岩崎は両手で頬面を叩くと起き上がった。
「で、英語教師がいるのはどこだ」
「鍛冶屋町にある崇福寺だ」
父の生前、長崎には何度か連れてきてもらったことがあるので、大隈には土地勘はある。だが主に砲台に用があったので、崇福寺という寺には行ったことがない。
二人が昼過ぎの丸山を歩き出す。岩崎は大あくびをしながら伸びをしている。無精髭はさらに黒々となり、着替えがないのか褌も変えていない。むろん大隈も同じようなものなので、それに文句は言えない。
丸山の遊廓には昼客がいないのか、女郎が蒲団を干し、下男らしき老爺が打ち水をしている。そんなのどかな光景を眺めながら、二人は鍛冶屋町に向かった。
鍛冶屋町への途次、岩崎の頼りなさそうな背中を見て、大隈は少し不安になった。
「おい」と言って大隈が先を行く岩崎の肩を押す。
「なんだ」
「その英語教師の腕は確かなんだろうな」
「いや、アメリカ人なので剣術はやらんだろう」
「そうじゃない」
岩崎はきょとんとしているが、大隈は英語教師がアメリカ人と聞いて安心したので、それ以上は何も問わなかった。
やがて竜宮城を思わせる朱塗りの楼門が見えてきた。岩崎は構わず進んでいく。
「おい、ここはどこだ」
「だから崇福寺だ」
「長崎には、こんな寺があるのか」
岩崎が勝ち誇ったように笑う。
「ここは大陸の様式を大幅に取り入れた寺だ。長崎には、華僑のお布施によって開山した大陸風の寺がいくつかある。そんなことも知らんのか」
今度は大隈が黙る番だった。
その奇妙な楼門をくぐって奥に向かうと、戸を開け放たれた講堂で、講義が行われていた。
後ろ姿から推察すると、生徒はどうやら商人の子弟のようだ。
講義をしている西洋人は、長身瘦躯で見るからに頭のよさそうな姿形をしている。
「随分と男前だな」
「でも宣教師だから、宝の持ち腐れだよ」
岩崎が下卑た笑みを浮かべる。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。