「さて、もう皆も気づいていると思うが、蘭学寮は弘道館の組織に入ったが、これはあくまで藩学の管掌(管理・運営)を一貫させるためだ。具体的には蘭学寮が主であり、これまでの弘道館の教育が従となる。つまり、これまで別個の組織として独立していた二つの藩学を融合させ、弘道館教育を短期間で済ませ、優秀な者をできるだけ早く蘭学寮へと進ませようと思っている。そうなると指南役、いわゆる教師が足りなくなる。そこで成績優秀な者を教師としたい。役料(役職手当)も付ける。これから名を呼ぶ者は前に来てくれ」 何人かの名が呼ばれた。その中には大隈の名もあった。職種は語学教師だった。
もちろん名誉な仕事なので断る者などいない。
「此度の藩学改革は殿肝煎りの大事なものだ。皆も覚悟を決めてほしい」
最後に安房が訓辞して、この日は散会となった。
早速、久米がおだてる。
「八太郎さん、凄いじゃないですか」
「まあな」と返しつつも、大隈はまんざらでもなかった。
——わしが教師か。
人にものを教える経験など、大隈にはなかった。だが教育こそ国家の大本だということは分かっていた。教育制度がしっかりしている佐賀藩に生まれたことを、大隈は心から感謝していたからだ。
「丈一郎よ、これまでわしは、人に何か教えたことなどない。何を教えればよい」
「えっ、蘭語じゃないんですか」
「いや、そうではなく——」
年少の久米にそれを聞いたところで、どうなるものでもないと思い返した大隈は、少し前を歩く大庭雪斎に語り掛けた。
「大庭先生——」
「あっ、大隈先生」
「やめて下さいよ」
さすがに大隈も照れ臭い。
「ははは、悪かったな。でもおめでとう」
大庭が大隈の肩を痛いほど叩く。
「ありがとうございます。それで——」
「役料の話か。最初なので、さほどもらえぬとは思うが——」
「いや、それはそれでいただきますが、教師とは何かをお伺いしたいのです」
「教師とは何かか——。わしと禅問答がしたいのか」
「まあ、そういうことです」
大庭が分厚い唇をなめると言った。
「酒を買ってわが家に来れば教えてやる、と言いたいところだが、それでは、さすがにばつが悪い」
「はあ」
「人様に何かを教えるということは、人様を導くということだ。朱子学だろうと語学だろうとそれは同じだ。それゆえ語学を教えようなどとは思うな」
「では、何を教えるのです」
「だから人に道を説くのだ」
大隈が首をひねる。