声を失った歌手が復活。ヒントは古武術から!?
—堀澤さんが歌手になろうと思ったのは、なぜですか?
堀澤麻衣子(以下、堀澤) 5歳頃、父に連れられて原爆の映画を見に行き、衝撃を受けたことがきっかけです。大人になったら傷つけあうのではなく、「人を救う」側の人間になりたいと思いました。その後、中学1年の時、海外で歌う機会があり、音楽を聴いた瞬間に、その空間にいる人の心と心が繋がっていく感覚を実感しました。音楽は言葉を超えることができ、またメロディーによって自発的に心に暖かさや勇気を芽生えさせることができる。人の心が豊かになり、傷つけあわない世界を、声や音楽を通じて目指していきたいと、歌手になる事を決心しました。
―そして、音楽大学に進学したんですよね。
堀澤 はい。でも、21歳の頃、のどにポリープができ、声が出なくなりました。手術後、喉の弱い自分でも歌えるように、1)二度とのどが痛くならず 2)楽に高音を出て、3)即効性のある 発声法を作ることが目標に、オリジナルの発声メソッドを作ったんです。
―復活後、歌手として活動をされていたんですよね?
堀澤 ええ。ただ、コンサートの時の準備から当日まで、チケットの管理、HP・プログラム作りから、ディナーショーの営業、会計、すべて自分ひとりで行っていたので、休みはなく、毎日へとへとに疲れ果てていました。当時は「CDを早く作りたい。どこかのレコード会社が拾ってくれないだろうか」と思い、プロデューサーにお金を騙しとられそうになった事もありました。
―それは、散々でしたね。
堀澤 人間不信にもなりました。また騙されるのではないかと、頑なになってしまったり。0か100かで生きていたので、人ともぶつかったり、大切な人を失ってしまったりしました。あのころの自分は、暇なし、金なし、人脈なしの「29歳、崖っぷち。なのにガンコでポツン」とした淋しい状態でした。
―そんな堀澤さんが変わったきっかけは、何だったのでしょうか。
堀澤 「丹田呼吸法」との出会いです。発声法を作った後、さらによい方法はないかと試行錯誤を重ねる10年が続きました。ある日、武道の先生と出会って、丹田呼吸法を知りました。身体の軸である丹田を使った歌い方で、どんな方でも2オクターブ以上は声が出るようになる身体の機能がある事を知りました。また呼吸法をすることで、腹が据わりメンタルが安定し、ブレない自分の軸を持つことができる自分に変わっていったのです。
呼吸法は、歌うために身体の使いこなしを知りたいという想いで始めましたが、声をらくらく出すことに効果を発揮するのはもちろんのこと、それ以上にメンタルの安定に大変役立ったのが驚きでした。また、身体の軸である丹田を使いこなせると、身体を使うスポーツ全般の身体能力も飛躍的にあがります。こうして、丹田呼吸法を発声メソッドにミックスし、声、心、カラダの3つを早く良い状態に整え、1日修得レッスンという短時間で誰でも声が変わるメソッドが完成しました。いままで4500人以上の方に受講いただいています。
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