転勤族の妻として幸せに暮らしていくために、思いつく限りの努力をやりちぎった末に限界を迎えた、ということについては前回までに書いた通り。
さて、今回は、転勤から2ヶ月後に限界を迎えた私が、どのようにして夫にその気持ちを伝えたのか。私たち夫婦が人生の大転機を迎えた日のことについて、書いていこうと思う。
ストレスが日増しに膨れ上がっていた
自分が限界を迎えていることを自覚したのは、夫に教習所に入所してもらった翌日のことだった。
30歳近くまで無免許で生きてきた人に、今さら免許を取得する決意をさせることはスムーズではなかったから、彼を教習所に送り込むにあたってはそれなりに揉めた。
だけど、自分が苦手な車の運転をしなくてはならないことへのストレスが日増しに膨れ上がっていた私は、実家から車を借りて半月もしないうちに、運転をしただけで高熱を出すようになっていた(私は本当にストレスに弱い)。
決め手になったのは、横浜までのドライブだった。ナビ上だと45分ほどの距離で、そんなに遠くはなかったはずなのだけど、運転をしていると頭の中がチリチリして、どんどん手足が冷たくなり、到着する頃にはかなり具合が悪くなっていた。
そしてその夜帰宅すると、39度の高熱が出ていた。このままだと時間の問題で大きな病気になると思った。
それでその翌日に、彼に教習所に入所してもらった。「そんな急に言われても、仕事も忙しいし、通えない」などとゴネる彼と夫婦喧嘩にはなったけれど、なんだかんだで無事に入所の手続きをして教習の予約を済ませてきてくれたため、事態は一件落着していた。
……はずだった。
改めて自分の心と向き合ってみたら
翌朝、夫が仕事へ行った後、息子と2人になった部屋の中で、改めて自分の心と向き合ってみると「……やっぱりどこかモヤモヤする、まだまだ心の中にズシーンとしたものが残ってる」と感じた。車の運転のストレスから解放される目処は立ったけれど、問題はそれだけではないと思った。
それで、じっくりと、"これからも転勤のある人生を送っていくこと"について考えてみた。
そしたら1つの答えが出た。
私、やっぱり転勤がある人生は嫌だ。
次の転勤には付いていきたくない。
ハッキリと、そう思った。
仮に今回、夫が免許を取ることでかなり暮らしやすくなったとしても、3年後にまたあの地獄のスケジュールで家探しからの孤独でハードすぎる荷造りからの荷ほどきをすることや、きっと転勤には必ず付いてくるものなのであろう送別会からの歓迎会からの親睦会などの夫の飲み会ラッシュ……想像すると、なんだかもう気が重くて「無理だ」と思った。
それに、引っ越しをする度に、またゼロから今回のような努力をしなければならないこともしんどい。彼が転勤族である限り、せっかく快適な暮らしを完成させても3年おきにリセットされてしまう。そしてまた不快な日々を一定期間は送らなくてはいけない。そんなことが何度も繰り返される人生って、しんどすぎると思った。
引っ越しは夫婦だけの問題ではない
それにこの先、息子が成長していくと、引越しは夫婦だけの問題ではなくなる。夢を持ったり、友達ができたり、好きな人ができたり、息子の世界が充実すればするほど、住む場所を変えることは気軽ではなくなる。
きっとそのうち、転勤の辞令は、息子の気持ちを傷つけたり、人生そのものを台無しにするリスクを孕むようになる。
我が子にとって大切なことを、大切にしてあげられないのは嫌すぎる。そんなの耐えられない。
そもそも親ならば、自分の天職より、子どもの青春の方を優先するべきだとも思う。だって親は自分の意志でなるものだから。彼は自分で父親になることを選んだのだから、自分の気持ちより子どもの気持ちの方を大切にするべき立場にある。
(その仕事だと圧倒的に稼げて、子どもの生活レベルや未来の可能性を大きく広げられるとかなら別として、ただ単に楽しく働けるというだけの天職なら、趣味のようなものだから、子どもの人生よりも優先するほどの仕事ではない。)
そんな風にしていろいろと考えた結果、「…よし、ここから3年間かけて考えてもらおう」と思った。
「急にそんなこと言われても困る」と言われないために
これは今回の転勤を通して学んだことでもあったのだけど、3年後にいざ辞令が出てから「今回はついていかない」と言うと、彼はかなり動揺する。そして「急にそんなこと言われても困る、ひどい」などと言い出す。
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