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漢数字の一を茹でるとひらがなのしになる人の初めから終わり
老人ホームで働き始めて四年になる。
この施設では年に平均十三人が亡くなる。つまり一月に一人は他界する。
二年目まではその度に泣いて泣いて、翌日立てないくらいだったが、三年目から涙が出なくなり、四年目に「またか」と呟いた自分に嫌悪した。
だから、今年の納涼大会は頑張ろうと思う。(またか)と感じる余裕すらないくらいくたくたになりたい。そうでなければ自分を嫌いになってしまう。
毎年冗談としては出ていた流し素麺の企画をわたしは一人で実行した。
許可を取り、施設の裏山から竹を切り出し、縦に二分して内側の節を削って滑らかにし、鎹(かすがい)でつないで可能な限り長くする。
長ければ長いほど盛り上がるはずだ。
お盆の最中に、誰も面会に来ないお年寄りたちと納涼大会を行う。今年は施設長も帰省しているからわたしが責任者だ。
三十度の傾斜の流し素麺台の端の梯子の上から中庭の園芸用ホースの水を流し、続けて徹夜で茹でて冷蔵庫に入れておいた大量の素麺を流す。張り切って氷もごろごろ流す。向こうの端に水が届くと文江さんがきゃあと笑った。素麺が届くと、「来たぞー」と一二三さんが叫ぶ。わたしも気分が上がってきた。
その時、ふいに大学時代の彼のことを思い出した。彼は数学科に在籍していたが、夏休みに「因果関係は流し素麺だ」とわたしに言ったのだ。
その声が耳もとに急に甦る。
「下から上に素麺は流れない。同様に因果関係も逆はない。暑いからアイスクリームが売れるのであってアイスクリームが売れるから暑くなるのではない」
文江さんと一二三さんが悲鳴を上げる。下から素麺が上がってくる。エッシャーの絵的な錯覚だろうか。
ベルトコンベアのごとく、素麺が上がってくる。
文江さんと一二三さんの声が、次第に子どものようなはしゃぎ声になる。
卒業と同時に別れたはずの彼が目の前でわたしを見つめている。
わたしは涙が止まらない。
川という漢字を啜り上げている口中は象形文字の源泉
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