いだてん』第35回「民族の祭典」〜「スポーツと政治、関係ない」

脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、チーフ演出・井上剛、注目のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第34回「226」。1936年夏。ベルリンで4年後の次回大会の開催地を決めるIOC総会が始まり治五郎(役所広司)は「日本で平和の祭典を!」と熱く訴える。その直後に開幕したベルリンオリンピックは政権を握るナチスが総力をあげて運営する大規模な大会となり、田畑(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させるが…

脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、チーフ演出・井上剛、注目のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第34回「226」。1936年夏。ベルリンで4年後の次回大会の開催地を決めるIOC総会が始まり、嘉納治五郎(役所広司)は「日本で平和の祭典を!」と熱く訴える。その直後に開幕したベルリンオリンピックは政権を握るナチスが総力をあげて運営する大規模な大会となり、田畑政治(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させる。マラソンでは金栗四三(中村勘九郎)と同じハリマヤ足袋を履くランナーが出場する…


途切れた音楽

 金栗四三出場のストックホルム大会以来二十四年、ついに日本悲願のオリンピック・マラソン優勝のときがやってきた。なのに、どこか空虚な感じがする。

 孫基禎がスタジアムに入り、嘉納治五郎が望遠鏡越しにその姿を捉えて熱狂する。ここで、演出はとっておきの、「いだてん」のメーンテーマを鳴らし出す。山本アナウンサーが「あと五十メートルでテープを切ります。40m、30m…」と、ゴールへの距離を詰めていく。しかし山本アナウンサーは、孫の表情や疾走の様子を語ることはない。「ガンバレ」もない。ついにゴール。治五郎もラジオの前の金栗四三ももちろん歓喜する。続いて南もゴール。2人の「日本」選手が金と銅を獲得した。この瞬間こそ、ドラマの第一部でずっと描かれてきたマラソン競技の、一つの頂点であるはずだ。ところが、南のゴールに対して、山本アナウンサーは全く感想を述べない。

 そしてここで、音楽は、テーマの途中にもかかわらず、まるで興奮を断ち切るように、明らかに編集したと分かる形で転調後のメロディへと継ぎ足されたのである。

 おかしい。今回の演出を担当した井上剛は、演出陣の中でもひときわ音楽と音響の編集に気を遣う人であり、わたしはこれまで彼の音楽の使い方に何度も唸らされてきた。その彼が、なぜこんな風に、明らかにつぎはぎにきこえる音楽編集を行い、感情を途切れさせようとするのか。

 その理由は次の場面で明らかになった。「表彰式で優勝した先取の出身国の国旗が掲げられ国家が演奏されることを、孫選手と南選手は知らされていませんでした」。

 新聞の片隅に載った京城発の記事で、当時の孫選手の育ての親でもあった金教諭は次のように語っている。

 「孫君が優勝したのは全く彼の頑張りによるものだと思ひます、一見柔和な運動選手としては小柄な体ですがその熱烈な闘志だけは物凄いものがあります、ベルリンの青空に半島の意気を高らかに掲げたその功績に対しても自然頭が下ります」(東京朝日新聞 昭和11年8月10日)

 金教諭は当時、日本の側から朝鮮をさすときに使う「半島」ということばを使っている。しかし一方で、金教諭は「日本」「日章旗」「君が代」といったことばをけして用いていないことにも注意しよう。金教諭はこれらのことばを使わないことで、孫選手の優勝が「日本」のためというよりは朝鮮人のためのものだったことを暗に示そうとしたのかもしれない。

 金教諭のことばとは対照的に、当時のほとんどの報道はこぞって、この優勝が「日本」のものであることを強調した。たとえば時事新報の8月10日の記事はこうだ。

「陸上の華マラソン競走こそは待望二十四年間の日本の苦心が結実するか否かの一戦だ、わが孫、南、塩飽の三選手は日本最後の希望も荷つて出発したが、孫、南の健脚よく強豪を制へて見事な疾走ぶりをつづけ孫は沿道随所に熱狂して声援をつづける邦人応援団の中をくぐり抜けながら遂に堂々二時間二十九分十九秒のオリンピツク新記録を以て優勝、南も最後の頑張よく三位に喰ひこみここに大会出場以来の宿望マラソンの制覇は成り陸上最後の日章旗は静かに鳴りひびく君が代の奏楽裡にメーンホールにはためいていた」(時事新報 昭和11年8月10日)。

 この記事には、選手自身の力走ぶりを伝えることばはほとんど見られない。むしろ「待望二十四年間の日本の苦心が結実するか否かの一戦だ」「日本最後の希望も荷つて出発した」「沿道随所に熱狂して声援をつづける邦人応援団の中をくぐり抜けながら」「陸上最後の日章旗は静かに鳴りひびく君が代の奏楽裡にメーンホールにはためいていた」といった部分を律儀なまでに記しており、これがいかに「日本の」勝利であるかを強調している。時事新報の記事は、選手自身の健闘よりも、「日本の勝利」に筆を費やすことで、当時の朝鮮人と日本人の間にある微妙な乖離を表している。ドラマは、孫、南両選手に国旗と国歌の奏楽が知らされていなかったことを指摘することで、この乖離を示してみせたのだ。

 孫選手の力走の描写もまた、屈折したものだった。孫、南両選手にはあえて配役を当てることはせず、レニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』のフッテージによって孫選手の姿を見せ、試合の様子を表現している。応援する日本人たちがみな現在の俳優によってカラーで写されているのに対し、孫選手の姿はあくまで当時の記録によってモノクロームで写されている。そのことで、孫の力走は、どこか遠く隔てられた映像として演出されている。

 孫選手の顔は一貫してモノクロームだったが、その姿が一瞬だけカラーで撮影されていた部分がある。それは、足下の足袋のショットだ。それがどういう意味を担っているかは、試合のあとの黒坂辛作のことばから明かだろう。「俺はうれしいよ。日本人だろうが朝鮮人だろうがアメリカ人だろうがドイツ人だろうが、俺の作った足袋履いて走った選手はちゃんと応援するし、勝ったらうれしい。それじゃ駄目かね? 金栗さん?」

 壁には選手たちの足型が飾られている。足袋屋は国を測るのではなく足を測る。孫は十文半、南は十文、塩飽は十文半。どの国の栄誉かという問題を越えることができるのは、国を隔てることのない足袋屋の視点だったのである。

 当時の東京朝日新聞には「我・世界に勝つ マラソン足袋の開祖が驚喜 裏に刻む苦心三十年」と題された黒坂辛作(五六歳)の談話が載っている。

 「よかつたですナァ、あの足袋も殆ど完全に近いことになつた訳ですヨ、金栗さんが高等師範の生徒さんだつた頃に私に注文されて作つた足袋で「金栗式スポーツ足袋」ですヨ、—五、六度も改良しましたかナ—孫さんのは十文半で南さんのは十文塩飽さんのも十文半です、1人五足づつ持つて行かれましたが中にも南さんは非常に熱心で製作中はいつも仕事場についてゐて、指図されました—(中略)
 孫さんがレースの終ひに足袋で足が痛くなつたといふことですが、足袋は五足それもすこしずつちがつたもので、どれをはかれたんですかネ—今度の注文は非常にこの足袋を重要視されて倅の勝蔵(三三)と徹夜で作りました—足袋を作るには、私が走る時の気持になって作ります。大きめだとスピードがつかぬし、小さいと血まめが出て内出血するし、紙一重のところです。長い距離を走ると足がふやけて少し大きくなります、最後の五六マイルで足袋がつまってくる。少し痛いナといふところでレースが終る……といふのが足袋を作るコツです」(東京朝日新聞 昭和11年8月11日)。

IOC委員、王正廷

 今回、もう1人、見逃せない人物が登場した。

 「IOC中国代表の王正廷。あの満州事変の交渉担当者です」

 王は、東京招致の鍵を握る人物としてドラマで扱われる。嘉納治五郎はこうつぶやく。「中国は入れんだろう…万が一取り損ねたら、私としてはある覚悟を持ってる」「覚悟?」「脱退だよ脱退。日本はIOCから脱退する」。嘉納治五郎はときどき物騒なことを言う。中国と揉めて国際会議を脱退するなど、まるで国際連盟脱退の再現ではないか。

 結局、投票の結果、めでたく東京招致が決まる。中国はどうやら、ヘルシンキには入れなかったらしい。投票後、治五郎は王の姿を見つけて思わず握手を求めるが、王はあえて手を出さずに言う。ここでわたしがはっとしたのは、その言い方だ。

 「同じアジア人として、私、東京を支持する、しかなかった」。

 脚本の指定か演出か、それとも王を演じたホァンシーの機転なのか、王は「東京を支持する」でいったん言葉を句切った。それで、一瞬、王のことばは、「同じアジア人として、私、 東京を支持する」という強い肯定に響いたのである。それは中国からのアジア人としての思わぬ友情であるかのように一瞬思われた。ところが、次の瞬間「しかなかった」と言われることで、それが単なるアジア人としての同情ではなく、王の苦渋の決断であったことが明かされた。このスリルにはしびれた。

 王は淡々と続ける。「スポーツと政治、関係ない」。そう言いながらも、王は治五郎の手を取らぬまま、踵を返す。まるで「スポーツと政治は関係ない」ことが、王と治五郎を隔てているかのように。その腕をとって嘉納治五郎はすがりつかんばかりに言う。「王さん…ありがとう。ありがとう…本当に。シエシエ、シエシエ、シエシエ、シエシエ!」。

 あとで嘉納治五郎と副島道正は王のことを振り返る。「私はね、副島君、中国の委員が支持してくれたことを重く受け止めておるんだ。ありえんだろう。昨今の日中関係の悪化を考えたら」「恐らく彼は、祖国で非難の的になるでしょうな」。「そこだよそこ。スポーツに政治を介入させないという強い意志だ。東京オリンピックは、アジア共通の悲願なんだよ」。

 以上のドラマから、わたしたちは、王が「同じアジア人」であることと「日中関係の悪化」の間で引き裂かれていることを知る。それにしても、王正廷とはどのような人物で、この場面にいたるまで日中関係にどのような役割を果たしてきたのか。なぜ「同じアジア」としての日中のあり方に彼はこだわったのか。ここで少し歴史上でのできごとを追って、ドラマをふくらましておこう。

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今日の「あまちゃん」から

細馬 宏通
河出書房新社
2013-12-25

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今週の「いだてん」噺

細馬宏通

近現代を扱ったNHK大河ドラマとしては33年ぶりとなる「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。伝説の朝ドラ「あまちゃん」と同じ制作チーム(脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛)が、今度は日本人初のオリンピック選手・金栗四三と、6...もっと読む

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コメント

otmovie20503 "「スポーツと政治、関係ない」。そう言いながらも、王は治五郎の手を取らぬまま、踵を返す。まるで「スポーツと政治は関係ない」ことが、王と治五郎を隔てているかのように。" 27日前 replyretweetfavorite

KevinMac14YHM 「同じアジア人として、私、東京を支持する、しかなかった」 王は「東京を支持する」でいったん言葉を句切った。それで、一瞬、王のことばは、「同じアジア人として、私、 東京を支持する」という強い肯定に響いたのである。続) https://t.co/NdXlP5EMzf 28日前 replyretweetfavorite

Itikawa_Ziroo @kaerusan 参考文献に #孫基禎 の自伝や伝記が入っていないのはなぜですか? #いだてん 第35回「民族の祭典」〜「スポーツと政治、関係ない」| 29日前 replyretweetfavorite

live_at_budokan 激動の昭和史との絡みがいよいよ深まる最近の「いだてん」。背景を丁寧に解説してくれるこの連載ほんとにありがたい。今回はIOC中国代表の王氏の裏ストーリーが紹介されててエモさ5割増し!! https://t.co/T6KaOrE75X 29日前 replyretweetfavorite