第9章それは「男の美学」なのか?|7「カッコよさ」の政治利用

二〇世紀後半の個人主義的な、自発的な大衆動員に、「カッコいい」があれほどの威力を発揮したのを見れば、総動員体制下でも、既にその活用が試みられていた、と考える方が自然であろうーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)


7 「カッコよさ」の政治利用


戦争の悲惨と美化

 戦争と英雄的な「男らしさ」との関係は、第一次世界大戦で破綻する。

 大量殺人兵器が導入され、戦闘機による銃爆撃、射程距離の長い銃、大砲、更には毒ガスの使用によってなす術もなく殺され、異臭の立ち込める塹壕に何ヵ月も閉じ込められている酷たらしい戦場は、レマルクの『西部戦線異状なし』(一九二九年)に描かれている通り、「カッコよさ」からはほど遠かった。また、現地の状況がわからずとも、手足を失ったり、戦争神経症で苦しみ続ける帰還兵たちの姿は悲惨で、やはり英雄的に讃えるには無理があった。

 第一次世界大戦で初めて銃の射程距離が一〇〇〇メートルを超え、そのために非戦闘員の誤射が非常に増えたとされている。とにかく、姿も見えない場所からいつ狙撃されるともしれず、そうなると、何かの気配に反応して、やたらと撃ちまくるし、逃げたり隠れたりしなければならない。

 象徴的な事実だが、一九世紀までの戦争では、兵士たちは直立の姿勢で、美しい軍服を着て戦ったが、二〇世紀以降は極力目立たない軍服で、射撃や砲撃、空爆に怯えながら、泥だらけになって地面を這いずり回ることとなった。スタンダールの『パルムの僧院』とセリーヌの『夜の果ての旅』で、主人公が足を踏み入れた戦場の描写を比較すると、この間の一世紀の変化がよく分かる。

 第一次大戦末期になると、フランスには重傷の傷痍軍人が十万人、イギリスには四万千人おり、イギリスでは、その69パーセントが足を一本、28パーセントが腕を一本失い、3パーセントは両方失っていた。

 とは言え、歴史学者ステファヌ=アントワーヌ・ルゾーは、戦争の神話化は非常に柔軟であり、この戦場での傷や四肢切断も、「勇気と愛国心のしるし」と見做されるようになったとしている。当然、戦場で勇敢に活躍し、重傷を負いつつ立派な体で生還した者は、超人的に美化される。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
カッコいい」とは何か

平野啓一郎

『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません