自分軸を獲得すると、傷つかない私になれる
すでにお話ししたように、尊敬できる人たちに会えたことは、目標を持ったことと同じように、うつから回復していくプロセスで大きな助けになりました。
私の場合、どんな人が相手でもためらわずに話しかけられますが、そういうことが苦手だという人もいますよね。
なぜ自分から近づいていけないかというと、理由があるわけです。
多くの場合、学びたいとか、いい人との出会いを求めて新しい世界に飛び込んだとき、一回目で素晴らしい人に出会える確率は低いものです。むしろその反対の人に当たる可能性が高いです。
そうすると、バカにされたり冷たい対応をされたりして傷つきますよね。傷つくと、次は行きたくなくなります。「自分はこの程度だ」と思って萎縮してしまったり、怒りを感じたりします。
でも、私の場合は、感じの悪い対応をされても「この人はこれだけの人ね」で終わらせて、次へ行きます。自分や相手を責めることはしません。
それは、「私にとって必要な人かどうか」という軸で考えるからで、そうすると一回一回、重く受け止めない済むのです。ろくでもない人に会っても「ごめんなさい、この人は今、私には必要のない人だ」と割り切れるのです。
そして、「出会えてラッキー」と思える人と会えたら、とことんその人とつきあっていきます。お手紙を一通書いても喜ばれますし、会ったときには必ず声をかけるとか、雑談するとか、そういうふうに誠意を見せていきます。
「相手にどう思われるか気になって、自分から近づけない」という人もいると思いますが、覚えておきたいのは、人の評価はまったくあてにならないということです。
多くの人は、人の年齢、肩書、地位などにごまかされています。
人の評価なんて、実にいい加減なものです。人をけなしてものすごい陰口をたたいていた人が、次に会ったときは、気持ち悪いほど持ち上げてきたり、そんなことが普通にあるのです。私は臨床心理士になる前となった後で、まさにそういう体験をしました。
多くの人は、その人の中身なんてちっとも見ていないのですから、そんなものに振り回される必要はないのです。
「この人、好き」とか、「この人からは学べる」とか、そう感じた人とだけつきあえばいいし、そうでない人には「こんにちは。先生、すごいですね」と、社交辞令で対応する。それでいいと思います。
サラリーマンは自分思考になれない?
会社に勤めている人の中には、「自分の基準でものを考える自分思考なんてムリ」と言う人がいます。
「だって、自分は評価される側であり、命令される側だから。納得できないことを命じられて『そんなことしません』と言ったら人事の評価が下がるし、あり得ない。先生はフリーだからできるんですよ」
そう言うのですが、それは違うのです。
組織の中にいても「これはできません」と言っていいし、「その言い方はちょっと理不尽じゃないですか?」と言うこともできます。「こういうアイディアもあります」と、提案することもできます。箸にも棒にもかからないような会社だったら、辞めるという手段もあります。
選ばれるのではなくて選べばいい。選択権は必ず自分の手の中にあるということを、忘れているのです。
なぜ、自分で選べないと思ってしまうのか。それは、自分より会社が偉いとか、上司が偉いとか思ってしまっているからです。社会的な地位や肩書などのバイアスがかかって、相手が自分より大きくキラキラした存在に見えているだけです。