臨床心理士として再び自衛隊に戻る
常勤の自衛隊を辞めた後も、非常勤で自衛隊に勤務していました。大学院のときは土日は訓練に参加して、実習の意味もあって、金曜日は自衛隊の部外カウンセラーの仕事をしていました。
ちょうど大学院を修了する頃に、「陸上自衛隊で、臨床心理士を駐屯地の医務室に配置するという話があるよ」と聞きました。
募集が始まると同時に受験を申し込みました。元自衛官だから採ってくれるかというと、そんなことはなく、一般の人たちと同じように受験しました。
でも、面接だけはみんなと違いました。
「玉川さん、今までいろんな苦労をされて、自衛隊のことをよく知っていますよね。この組織のメンタルヘルスに何が必要だと思いますか?」と聞かれました。
自分が思っていることを話したら、「とにかく玉川さんがやりたいようにやってくれればいいですから」と言ってもらえました。
それで、「私は自分が助けられたし、隊員がとても苦しんでいるのを知っているので是非、内部改革をさせてください」と言って、気負って入ったのです。
それでも、自衛隊という組織と、外部から集まった臨床心理士たちの意識にはギャップがありましたし、組織内でもその人の立場やポジションによって、かなり考え方に違いがありました。
そのうち、私なら立場がわかるということで、陸海空の関係者を取りまとめるような役割になっていきましたが、当然、いろいろな場面で板挟みになりました。でも、私でなければできないことがあると思い、どんなにくじけそうになっても私が正しいと思ったことをやろう、いい制度、いい組織にしていこうと思っていました。
そのときはほぼ完全にうつから脱出していましたが、あと一歩、自信がない頃でもありました。やりたいことの背中を押してくれる人、ことごとく阻止しようとする人の両方がいて、人にふりまわされる傾向がありました。
「行列ができる相談室」を離れた理由
臨床心理士として戻る以前から部外カウンセラーとしてかかわり、元自衛官でもあった私には、着任したその日から待っていてくれるクライアントさんたちがいました。「行列ができる相談室」という呼び名そのままに、トイレに行く暇もないくらいでした。
ところが、ある案件で大きな壁にぶつかりました。私はとにかく人の命を守ることを最優先に解決を図っていったのですが、ひどく理不尽な状況にぶつかり、オーバーワークの疲れなども重なって、自宅のトイレで「死にたい」という気持ちが再び顔を出したのです。
幸いなことに、そのときはすでに、たくさんのステキな大人たちとの出会いや成功体験という財産がありました。なので、すぐに「いや、あなただから行列ができる相談室になったんじゃない?」といったひらめきが出てきて、意識を切り替えることができました。
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