お仕事であろうとなかろうと、出会った人が困っていたら手を差し伸べる。そんな感情を持つヒト科の動物でありたい。が、現実はなかなか難しい。
時として、つくった家族や、年老いていく父母さえ投げ出したくなる厳しい状況に陥るかもしれない。そんな時、一人でがんばり過ぎて、命を落とさぬように、考えられた社会の仕組み。人が生きる最低限のセーフティネットとして、社会保障や医療、介護制度がある。でも、どこに何を言えばいいかの、情報もいきわたっておらず、声をあげるのはすごく勇気がいる。
それに、絶望の渦中にいると、生きることに希望があることすら忘れてしまう。不幸な境遇のまま放置されると、幸せになることが恐怖にさえ感じてしまう。
「助けてー」と言えた時点で、なんらかの違う毎日が得られることもある。もちろんそうじゃないこともあるが、叫んでみなきゃわからないことを、私は身を持って知る。
私も夫亡きあと、生きるのが怖かった。
そして、今も体調が悪い日は、生きていることが辛い。が、それと同じ分だけ感謝もできるようにもなった。半日以上ベッドにいる時など、特に気心の知れたヘルパーさんの訪問はうれしい。ある日、ベッドから身を起こしながら、いつも、さりげない気配りができるヘルパーさんに問う。
「介護の仕事をしていて、心がけていることは?」
彼女は東北震災の年に離婚をした。長年にわたって考え続け、やっと夫婦の結論をだした直後に震災が起きた。内情を知らない周囲からは、
「なにもこんな時に……こんな時だからこそ寄り添わないと。親戚の恥だ」
と罵倒されたそうだ。当時は、皮肉にも、いたるところで絆という言葉が使われていた。
彼女は、絆ってなに?寄り添うってどういうこと?と考えた。気づけば、大阪でヘルパーという仕事をしていたそうだ。