妊婦のお腹は、ヘソの穴が裏返るほど膨らむ

前回、人が持つ渦の話をされたユウカ。妊婦のアキの横で何を思うか。

アキは疲れているらしく、そのまま、また寝てしまっていた。

ユウカはアニ子に「今日はここに泊まらせてほしい」と頼んだら、あっさり布団を貸してくれた。

借りた布団をアキの横に敷いて、布団の上にごろりと寝転がる。

「おやすみ、アキさん」

寝静まってから2時間くらいたった頃だろうか、家の奥からお祈りのような言葉が聞こえてユウカは目が覚めた。
たぶん、アニ子だろうか。 その祈りの声は夜中じゅう続いて、結局、お祈りが終わったのは早朝くらいだった。

ユウカはずっと、その低音で響く祈りの声を聞いていた。 沖縄の方言だろうか、祈りの声の意味はまったくわからない。しかし、その声には力強さと信念の強さを感じた。

まだ外は薄暗く、窓があまりないこの家には、光もほとんど入ってこない。
夜が明けたとわかったのは、人の話す声や車が走る生活音が聞こえてきたからだ。

そして、外の廊下をゆっくり歩く足音がした。

ユウカは気になって顔だけ廊下に向けると、そこにいたのはアニ子だった。 (この人はいつ寝てるんだろう?)

「なんじゃ、もう起きとるんか?」

「アニ子さんもほとんど寝てないですよね。さっきまでお祈りの声が聞こえていました」

「わしは好きな時間に寝とるから大丈夫じゃ。これからブログを書いて寝るから、気にしなくてもいい」

「いつも夜にお祈りをしているんですか?」

「夜は神様のいない時間だからな。ただ、あれは祈りではない」

祈りではないなら、なんなのだろう? 
ユウカには答えがわからなかった。だけど、再び聞くのは憚られたので、聞かなかった。

やがて他の部屋でも人が起きだした音が聞こえてきて、本格的に夜が明けたことが、この薄暗い家の中でも伝わってきた。

「2日前に出産があった。あの母親も起きる頃じゃろう。飯を作ってやらんと」

アニ子はそう言うと、また家の奥に戻っていった。

やがて、隣のアキも目を覚ました。

「おはよう、ユウカ。昨日は泊まったの?」

「うん、家に帰ってもひとりだし、アキさんのことも心配だったから。笑」

「そんなこと言って、寂しかっただけでしょう? じゃあ、こっち来なよ」

アキは布団の端をめくりあげて、ユウカを呼び寄せた。

まるでプレイボーイのいうセリフみたいだったけど、アキが言うなら様(さま)になる。

ユウカは、人肌恋しい小動物のようにするりとアキの布団の中に入り込んだ。
アキは布団の中にユウカが寝られるスペースを作ってくれた。

「ほら、随分お腹大きくなったでしょう」

アキはユウカの手を自分のお腹に添えさせて言った。

「自分でも驚いてるのよ。お腹だけがこんなに大きくなって……、ヘソの穴が裏返ったもの」

それを確かめようとユウカは服の上から触ろうとしたが、さすがに服の上からはわからなかった。まるまると膨らんでいる様子はまるで地球だ。

女の身体から、地球が生まれようとしている。だから、女は太陽だっていうのかもしれない。

「ほんとうに。丸々としてて、はちきれそう」

「予定日までは一か月を切ったからね。もう後は出すだけよ」

「アキさんは、なんでここで産もうと決めたんですか?」

「アニ子さんがいたからね。あの人はもともと腕のいい助産師さんだったの。
だから、ここで出産がうまくいかなかったことは一度もないの。 本当は、なかなか入れないんだけど、たまたま、会いに来た日が前にいた人が出て行ったタイミングだったから、ここに入れたんだよ」

「そうだったんだ。タイミングよかったんですね」

「すぐに神戸に帰る予定だったんだけど、晶のこともあったし、アニ子さんに居ていいと言われたから、すぐに戻るのをやめて、ここで出産することに決めたのよ」

「アキさんが急に沖縄で産むと聞いた時は驚いたけど、アキさんがそう決めたんだったら、いいね」

「神戸に戻っても、何もないしね。そうはいっても、あなたは先に帰ってもいいのよ。ここにいる理由があるのは私だけなんだから。私に付き合う理由はないわよ」

「ううん、私振り回されてるわけじゃないの。自分の意志でここに残ってる。幸い晶ちゃんの母親のセツ子さんが空き部屋を貸してくれて、なんとか暮らしていけてる」

「……とかいって、いい男と出会っただけじゃないの?」

「そんなんじゃないですって。ただ気になる男の人はいるっていうか……」

「そう、じゃあ、あなたもここにいる理由を見つけたのね」

それだけ言って、アキはユウカを抱きしめた。 アキは口では「先に帰っていい」と言ったけど、本当は寂しかったのかもしれない。

もう、すでに未亡人になって、頼りになる身内もいない、恋人もいるわけじゃない。
亡くなったご主人の最後の忘れ形見を産もうとしているんだから、アキでなかったら、心細さを想像ができたけれど、ユウカはこうして抱き寄せられるまで、アキの状況を忘れていた。

「……ユウカ」

アキは名前を呼ばれて、「……ん」と喉だけで返事をした。

「お腹に耳をあててごらん。動悸も聞こえるわよ。あ、おヘソの匂いは嗅がないでね。臭いから」

今度はユウカは抱きつくような形で、お腹に耳をあてた。

ドックンドックン…… あ、渦の中心はあったかい。

アニ子の話でいうと、アキはきっと「大きな渦」を持っている。 私は、そんなアキに振り回されるように沖縄に来て、今を過ごしている。

でも、私はアキのことが好きだ。だから、アキのそばにいる。
アキと知り合ってなかったら、私はまだ東京でOLをしていたかもしれない。
振られた男にストーカーをして、いまだに過ごしていたのかもしれない。

でも、アキと知り合って、私は、今まで考えもしなかったことを経験してきた。
まさか、調布出身の自分が西日本で暮らすなんて思ってもいなかったし、夜の店で働くなんてことも思ってもいなかった。

池崎と高畑と知り合ったのも、神戸でアキと一緒に過ごしたからだ。

以前の自分は、「結婚してお嫁さんになる」ことだけが女の人生の唯一の道のように思っていた。

それができない人生は失敗の人生と本気で思っていたし、「百鳥さんは結婚は? あ、そう…お独りなの……」と他人から一生憐れまれて過ごすんだと本気で思っていた。

会社勤めしてた頃、40過ぎても結婚していない同僚に対して、「もう、人生終わっちゃってるよね^^」と思っていた自分が、世間知らずで、人生が始まってもいない人間だったということを、アキは教えてくれた。

アキと知り合ったあの日、九州のボランティア村でアキに声をかけられたあの日から、思い返せば、私はこの人に助けられ続けた気がする。

ユウカは渦の中心でアキに向かって言った。

「アキさん、私、出産に立ち会ってもいい?」

アキはいつもと同じような落ち着いたテンションで答えた。

「私痛いの苦手だからさ、暴れるかもしれないよ。勢いあまって殴っちゃうこともあるかもしれないよ」

「避けるのは得意だから大丈夫。私小さい頃、空手習ってたんだ」

「あはは。いいわよ、立ち会っても。命の保証はしないから」

アキは笑って、ユウカが出産に立ち会うことを許してくれた。

渦の中心は、風もなく穏やかだ。 中心にいれば、振り回されることはない。
私は望んでアキに寄り添うと心に決めた。

(つづく)

<イラスト:ハセガワシオリ

この連載について

初回を読む
結婚できない2.0〜百鳥ユウカの婚活日記〜

菅沙絵

友人たちが彼女につけたあだ名は「レジェンド・ユウカ」。結婚市場に残された最後の掘り出し物という意味だと説明されたが、たぶん揶揄する意味もある。妥協を知らない彼女が最後にどんな男と結婚をするのか、既婚の友人たちは全員興味深げにユウカさん...もっと読む

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