「イエスマン」は居場所を崩壊させる
もう1つの居場所が変質してしまう大きな原因は、居場所のメンバーが「正直な意見を言い合う」という、お題に忠実ではなくなってくることが原因です。どんな人の集まりであれ、コミュニティの中で特定のタイプの人たちが幅を利かせ始めると、その居場所全体が虚構の世界に沈んでいきます。それは「イエスマン」と呼ばれる人たちによるものです。
イエスマンは、勢いのある人たちの意見に対しては、自分の意見を殺してでも「イエス」と言い続ける人、つまり居場所のお題である「正直な意見を言い合う」とは、対極にある存在です。
一番の問題は、誰が見ても「イエスマン」であるにもかかわらず、当の本人がその事実に気づいていないことです。人は、ある特定の人物のイエスマンを続けていると、洗脳状態になってしまいます。カルト宗教団体などの洗脳騒ぎは時々話題になりますが、自分の本当の意見が自分でもわからなくなり、心の底から誰かの意見に賛成しているかのように「イエスマン」に徹してしまうのです。
カルトグループまでいかなくとも、身近な例があります。もしかしたら、周りの友達に誘われて、子供の頃に万引きをした経験のある方もいるのではないでしょうか。しかし振り返ってみると、必ずしも本心から「万引き」に興味があったわけではなく、当時の居場所の権力者の「イエスマン」でいただけという人もいるはずです。
「イエスアンドマン」になる
とはいえ、新たな人間関係を築き、新たな居場所を見つけようとするとき、いきなり最初から、自分の意見に忠実であることは難しいことです。多くの人が、その新しい居場所では初めはイエスマン的に振る舞うのが普通だからです。
たとえば、SNSでつながったばかりの人の投稿に対して、いつもの自分では考えられないほど積極的かつ前向きなコメントを残したことはないでしょうか。これもある種のイエスマン的な振る舞いです。
私はこういった行動を否定するわけではなく、むしろ積極的にやるべきだと思っています。なぜなら、出会って間もない人に対しては好意を見せるほうがコミュニケーションは円滑になりますし、そもそもこのイエスマン的な振る舞いは次第に自然消滅していくものだからです。問題なのは、相手に媚びへつらうため、あるいは無難に過ごすためにイエスマンを続けることです。そうなると、虚構の世界に入ってしまいます。
たとえば、芸人の卵が自分で主催したお笑いライブをやって、ネタも集客も大失敗したとします。仲間には「結果はわかっていたけど、そこをあえて果敢にチャレンジした自分はすごいんだ!」と語り始めたとします。
こんなときに友人であるあなたが、気の毒だからと「そうだね!君はすごい」とイエスマンとなって接してしまえば、まさに虚構の世界への入り口です。
ここでやるべきことは、イエスマンではなく、『イエスアンドマン』となることです。インプロで即興演技を行う上での基本概念に、「イエスアンド(Yes, and)」という考え方があります。これは相手の言動を受け入れた後に、「アンド」というかたちで、自分の視点やアイデアを1つ加えるという考え方です。これを、単に肯定するイエスマンに徹することと誤解する人がいますが、それはまったく違います。
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