育児ブログで"女性に優しい会社″キャンペーン!

妻が開業医のサラリーマン・雄二は、周囲に驚かれながらも育児休暇をとることに。会社はそんな彼に会社のイメージアップのために育児に奮闘する毎日をブログに書いてアップするように言う。ぎこちなく始まった育児日記だったが……。
「産む性」として揺れ動く女性たちの心の葛藤と、その周囲人々のそれぞれの人生の選択を描いた8つの短編集『産む、産まない、産めない』より「次男坊の育児日記」を特別公開。
(カバーイラスト:近藤圭恵 / モノクロイラスト:オカダミカ)

 帰宅してすぐ、今日の出来事を今日香さんに話した。こうして、その日にあったことをしゃべる相手がいることのありがたさを結婚して知った。アドヴァイスが欲しい時もあれば、そうでない時もある。ただ話すだけで、話す相手がいると思うだけで気持ちに余裕ができる。

 彼女は、しぼりたてのグレープフルーツジュースを飲みながら聞いていた。雄二は缶ビール。

「じゃあ、峰岸さんに感謝しなきゃね。無理矢理、石倉さんを説得してくれたんだから」

「うーん。部長が納得してんだかどうだか、まだわかんないけどね。あの人、くせ者だからさ」


 翌日、石倉は、部員全員を集めて、いきなりこんなことをいい出した。

「重松、お前は今日からキャンペーンボーイだ」

「なんですか、それ」

「我が社の〝女性に優しい会社〟キャンペーンだよ。昨日の説明会で気がついたんだが、女性に優しいっていうイメージを作るには、自分のとこの女性だけにいい待遇を与えればいいってもんでもないだろう。女性が社会に出ながら子供を産んで育てるっていうシステムそのものを、応援してる姿勢があったほうがいいと思うんだ」

 雄二は面食らった。

「いったい、私に、何をしろとおっしゃるんですか?」

「まずは育児休暇をとれ。十二月半ばから三月いっぱい。いや、ゴールデンウィーク明けまででもいいぞ」

「ありがとうございます」

「で、ブログをやれ。育児ブログだ。もちろん、要望があればメディアにも出てもらう。十二月からとれば、来年度の新卒の募集要項にも実績として載せられるんじゃないのか。男性社員の育児休暇も奨励している会社、として」

 思い通りの期間が認められたことは嬉しい。けれど、結局、会社に利用されるのか。ただシンプルに、自分の子供の面倒をみたいだけなのに。それを、大したこととして世間に発表されると思うと、気が重くなった。

「タイトルはわかりやすくしてくれ。そうだなあ、『男の育児日記』じゃヒネリがなさすぎかなあ。重松、お前は一人っ子か?」

「いえ、次男ですけど」

「じゃあ『次男坊の育児日記』でいいだろう。よろしくな」

 勝手にタイトルまで決められてしまった。

 雑務のあいまに、峰岸が声をかけてきた。

「なんか、おれのせいで大変なことになっちゃったなあ」

「……。キャンペーンボーイって、かなりこっぱずかしいですよね」

「なんか、あの時さ、会場の空気っていうの? そういうのに押されて、つい口がすべっちゃってさ」

「かんべんしてくださいよ」

 やりとりを聞いていた久美子がわざわざやってきて、口をはさんだ。

「いいじゃない。結果オーライよ。これで重松くんは希望通りの時期と期間で育児休暇がとれる。部長は新しい野望に燃えている。会社側だって、プラスがあるんだから。それに、きっと楠木彩子、うちに来るわよ。なんとなく、のカンだけど」

 そんなものなのかなあと思った。

 今日香さんも久美子と似たようなことをいった。

「おもしろいこと考えつくのねえ。子供の記録になっていいじゃない。会社に、デジカメ買ってもらいなさいよ。うんといいやつ」

 女の人って本当にたくましい。何が一番の優先事項かを身体でわかっている。

「最新のデジカメぐらい支給してもらわないとやってられないよ、こんなこと」

「なんで? 楽しめばいいじゃない。せっかくなんだから」


 人間は、最も不完全のまま生まれてくる動物だと、誰かがいっていた。たいていの哺乳類は生まれてものの三十分で立ち上がる。けれど、人間は時間をかけて二足歩行になり、一人で行動できるようになるまで、もっと時間をかける。

 雄二は、分娩室の前で我が子が生まれてくるのを待っていた。

 ペットボトルの水を飲んでも飲んでも、喉が渇いてしまう。血を見ると貧血を起こしやすい雄二を気づかって、今日香さんはいった。

「無理して分娩室のなかまで立ち会わなくてもいいわよ。何でもかんでも直視すればいいってもんでもないしね。私自身ははじめてのお産だけど、一応シロウトじゃないわけだし。同じ時間を共有してくれれば、それでじゅうぶん」

「うん、わかった。軽はずみなことはいいたくないから、なかに入るかどうかはその時に決めるよ。自分の子供と会うって、どんな気持ちになるんだろう」

 きっと人それぞれだと、大学病院時代にいくつもの出産現場に立ち会った彼女はいった。出産というと、誰もが同じように感動すると思いがちだけれど、その質も量もみんな違う。基準などないし、それが当たり前なのだ、と。

 こうして待っている雄二は心配ばかりしていた。さっきから、カメラの準備はいいか、実家の両親への連絡が遅くならないか、そんなことばかり気にしているのだ。

 寒い夜だったけれど、雄二は汗をかいていた。院内の暖房のせいか、あせりのためか、自分でもわからなかった。前向きなあせり。この奇妙な心の動きをなんと呼んだらいいだろうか。ブログをつけるようになって、自分の気持ちの確認をするくせがついた。今までなら、なんとなく、で済ませていた感覚に、具体的な言葉を当てはめたいという欲求が生まれた。

 時間がどんどん過ぎて行く。ただ、うろたえている自分を変えたかった。何でもいいから何かをしたくて、雄二は結局、分娩室に入った。血を見てめまいを起こしている暇などなかった。

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産む、産まない、産めない

甘糟りり子

妊娠、出産、育児、家事……全くもって女性の人生は大変だ。女であるというだけで「あたりまえ」にできることが要求されるのだから。そして仕事をしたければ、その「あたりまえ」でさえ手放さなければならない。女性は、果たして「産む」だけの機械なの...もっと読む

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