私は、脳性まひという病名と共に誕生した。が、子供の頃はご陽気な性格も手伝ってか、周囲の目なんて気にならなかった。結婚後も、障害者だからといって、とりたてて不都合もなかった。今より体の動きも軽く、何より移動の時には、夫が車を運転し、車いすを押してくれた。夫とは懸命に話さなくても通じ合えた(と思っていたのは私だけだろうか笑)ので、発語障害も気にならなかった。とにかく私は夫とのアイコンタクトの生活を充分楽しんでいられた。その夫が十二年前に亡くなり、息子も二年前に自立した。以来、私はヘルパーさんの手を借りて自宅での一人暮らしになった。
正直、私が一人で生きる上で言語障害がこんなに不便だとは予想もしていなかった。年々発語がしづらく、人の知恵や手を借りるのも一苦労の毎日。顔をゆがめ、全身をぐねらせ、思いがとっさに口に出せないのだから、初対面の人には、考えていない、もしくは考えることができないと思われることもある。
人は人と関わる時に、まず視点から入る。だから、不本意ではあるが、多くの人が私ではなく付いてきてくれているヘルパーさんに尋ねる。ヘルパーさんもお仕事としてその場にいるわけだから、一生懸命、間に入ろうとする。それが助かることもある。が、たいていの場合、ヘルパーさんを介さずに直截相手と話した方が早い。
とはいえ、言語障害の私は話すことがとっても億劫だ。全身の筋肉を使って言葉を振り絞るので、少しの会話でも疲れる。初対面や話し辛い人と話すと、発語に伴って顎や首が緊張し痛みが出る。そのことが重々わかっているヘルパーさんほど、下手な通訳はせず無駄な伝言ゲームはさせない。この人に直接聞いた方が早いですよーという空気をつくって、黙って事の次第が見守れる。
ヘルパーさんとも、会話のタイミングも合うこともそうでないこともある。「それは言うたらあかんわー」と叫びたい時も「なんども聞き返してもらっているんだけど、大したこと言ってないよ。聞き流してぇー、言わなきゃよかったぁ」と思う時も。「それは先に確認してほしかったな」と心の中で呟やく時もある。が、現実として。私の生活を家族よりもはるかに支えてくれている。ヘルパーさんは一番近い他人だ。だからこそ、より良い関係をより長く保つには、一定のルールと互いのほどよい心の距離感が必要となる。
互いが誤解を招かないように、適切な言葉の積み重ねが大事なのは言うまでもない。これから何回かはヘルパーさんとの関わりの中で私が感じたことを書く。失敗談もたくさんあるので、みなさん、お怒りなく。私が今日を生き明日を迎えようとするのは、私の昨日を支えてくれたヘルパーさんとのご縁があってのことだ。一期一会! 一日でも一時間でもお世話になったヘルパーさんには、深く感謝していることを大前提に話します。
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