日比谷線、仲御徒町駅。この駅で電車を何度降りたのかわからない。改札を出る前に、私は化粧室に入って鏡の前でメイクの溶けた顔を眺めていた。自分のみっともなさに落胆する暇もなく、顔の脂を取り除き、粉をはたく。目元はあえて直さない。完璧すぎると”重い”し、時間が惜しい。
なぜここにいるのか。呼び出されたからだ。
23時過ぎに仕事が終わり、地下鉄に揺られている時だった。電車のドアに寄りかかりながらiPhoneを眺めていると、手の中でバイブが鳴った。画面に表示された馴染みある名前を見ると口角が自動的に上がる。
「声が聞きたい」「会いたい」「探し物をしている」。
電話に出るまでの2秒間で、5パターンほどのシチュエーションを考える。Aのとき、Bのとき、Eのとき。それぞれで対応は異なるが、どんなパターンが来ても瞬時にベストな解答をしたい。私にはそういうコマンドが設定されている。
「もしもし…」
「あー今どこ?…… 会いたいな」
甘えた声は一瞬でわかる。電話の先にいる人はかなり酔っている。
「ごめん、今電車なんだ」
と言うと「なんだー」と残念そうな声がする。少し優位に立った気持ちで電話を切って、「どうしたの?」とメッセージを打ち込む。
「うち来ない?」
パターンCである。予想はしていたものの、考えた中で最高の状況が降ってきた。電車の中でガッツポーズをして叫びたいけれど、「行く!」と即答はできない。なぜなら、電車は家に向かってるし、身体は疲れている。それに明日も仕事はある。
また頭の中で演算が始まる。目的地に着くのが24時過ぎ。眠るのが25時。着替えは少し置いてあるし、下着はコンビニで買えばよい。もしTPOに適した服がなくとも、5時に起きて始発で帰ればなんとかなる。4時間も眠れば充分だ。おそるおそるGoogleカレンダーで明日の予定を確認すると、来客はなさそうだった。
よし、行ける。
電車を降り、自宅ではない場所へ向かう地下鉄に乗り換えた。
「何か必要なものある? 買っていくよ」と文字を打つ。水、缶ビール、ハイボール。私はなんだって買っていけた。5手先まで読んで、彼のあらゆる要望を想定する。気を利かせつつ、やりすぎず。匙加減は難しい。
ドアを開けると「遅いー」とベッドに寝転がった彼がいた。目元に手首をのせ、半分眠った状態だ。酔うと白い肌が赤くなる。にぃーっと目をうるませて笑う様からは、機嫌の良さが伺える。胸をなでおろし、そこに飛び込むのが好きだった。
世の中には「会いたい」と鬼のように電話をして男を束縛する女がいるらしい。私はそういう女にはなりたくない。 物分かりが良い、面倒くさくない女でいたかった。向こうから呼び出されたら「仕方がないなぁ」と小さく笑いながら、飛んでいく。そういう女になりたかった。
スカウターでもつけているかのように相手の機嫌がわかる
「今日は何時に帰れそう?」と夕刻に連絡が来る。彼の仕事が終わるのはだいたい19時過ぎ。私は終電近くまで会社にいるような働き方をしていたけれど、次第に18時くらいに仕事の目処をつけるようになっていた。効率化するようになったのではない。手を抜くようになっていた。
「7時半に仲御徒町に着くよ」と返すと「駅で待ち合わせしよう」と言われる。
男の人はいつも「何分に駅に着くのか」聞いてくるけれど、改札を出る前に一度鏡を見る時間も加味して欲しい。別に媚びてるわけじゃない。せめて崩れた顔を直さないと、自分が許せない。世の中には美しい女性がたくさんいる。いつでも捨てられてしまうコマでしかないと自覚しているだけだ。溶けた顔では隣に並びたくない。嫌われる確率を上げたくない。
改札越しにハリのある白Tシャツにチノパンというシンプルな服装の彼を見つける。左手に持ったiPhoneを眺めているので、俯いた顔に柔らかな黒髪がかかる。地下鉄の生ぬるい風に吹かれて、さらりとなびいていた。
私には、遠目からでも恋人の機嫌を判別しようとする癖がある。待ち人がやってきたことに気が付いて視線が上がったその瞬間、スカウターでもつけているかのように機嫌の数値がわかる。
今日は”大丈夫”そうだ。
何食べる? 餃子がいい? たまご余ってたよね? スーパーの生鮮食品売り場を歩きながら話す。1人で食べるなら3食コンビニで買って済ませるのに、誰かと食べる「ご飯」はどうしてこんなにわくわくするのだろう。豪華なものを食べたいわけじゃない。レトルトでも冷凍食品でも、イチから作る料理でも、冷蔵庫の余り物と空腹具合を掛け合わせて最適解を導き出す行為は豊かだ。食事ですら意味が出てくるのは、誰か——つまり彼の存在が大きかったと思う。
ただ、機嫌が悪いときもある。食事中に箸が止まった瞬間、既読がついたまま返信がこない時間、繋いでいた手を離された一瞬、会話中に遠くを眺めた後、スーパーの袋を持ちながら夜道を歩いている最中。突然、雷が落ちる。
「こんな仕事して恥ずかしいと思わないの?」「てか、ウザったいんだよね」「こういう彼女がいるって思われたくないんだけど」
予告して落ちる雷はない。けれども私は極力それを避けたかった。怒ったことは一度もないし、ワガママは飲み込むまでもなく食道あたりに張り付けた。「あなたのため」という動機だって全部握りつぶしてきた。
私には雷に打たれる理由がありすぎる。顔は整っている方ではないし、性格はガサツな割に鈍臭く、忘れ物が多い。その上、悲観的で杞憂が多い。一緒にいるだけでイライラする存在だ。
女が感情的で、男は論理的。一体誰がそんなことを言い出したのか。支離滅裂な雷を浴びるたび、そう思った。しかし一方で、5手先を読んだつもりで、誤読をしていたのではないかと不安になる。
どこで間違えた?
頭の中のログから懸命に探す。あの時? この時? 今? ミスがあったらすぐに修正したかった。絶対に反論はしない。数秒の沈黙の中、壊れかけたPCみたいに無様な演算を繰り返した。すぐフリーズしては、エラーが起きる。
多くの場合、何事もなかったかのように翌朝を迎えた。一緒に家を出ては、夕刻には今晩の予定を確認し、また待ち合わせをした。
でも、私が気づいていないだけで、嫌われポイントは少しずつ溜まっていってたのだろう。結局彼とは別れてしまった。
押し殺していたある感情
そんな日々から2年が経った。映画を観るため、久しぶりに仲御徒町駅を目指していたある日のこと。目的地かと思い降車すると、一駅手前の秋葉原駅だった。電車に乗り直して気がつくと、到着したのは一駅先の上野駅。なぜか仲御徒町に到着しないのだ。