読まんで、どうして理解できる!」 | 気宇壮大(五) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 「大庭先生、まずは一献」

 大隈が大庭雪斎の茶碗に酒を注ぐ。大庭は酒に目がない。

 「そなたは、よく気がつくな」

 すでに大庭は坊主頭を朱に染めている。

 大庭は医者の家柄なので、頭を丸坊主にしている。いわゆる医者坊主の出身だが、好生館(医学寮)教導方頭取(教頭格)から蘭学寮の初代教導(同)に転じただけあり、佐賀藩内でも抜群に優秀だった。この時、大隈より三十二歳上の五十一歳である。

 「先生のご著作の『民間格致問答』を読むと、万物の法則のすべてが語られていますが、あれは本当なのでしょうか」

 『民間格致問答』とはオランダのボイスの著作で、万物の法則、いわゆる物質の構成、慣性、引力、天体、水、大気の成分、電気、磁気などについて記している。それを日本語訳したのが大庭だった。また蘭学寮の教科書となった『訳和蘭文語』も大庭の訳による。

 「そなたは『民間格致問答』を読んだのか」

 すでに大庭の呂律は怪しくなってきている。


 「読みました。いや、厳密には詳しい者に聞きました」

 大庭が「さもありなん」という顔で言う。

 「そうだろう。そなたの蘭語の力では、あれは読めん」

 「でも、おおむね理解しております」

 「読まんで、どうして理解できる!」

 大庭が茶碗を叩きつけたので、見事に茶碗が割れた。

 「あっ、物質同士がぶつかり合って、一方が割れました」

 大隈も大庭に負けじと酔っている。

 「ああ、本当だ」

 割れた茶碗からこぼれた酒が大庭の裾を濡らす。それを大庭が懸命にすする。

 「固体は、原子の密度が濃い方が固い。だから低い方が壊れる」

 「先生、着物の裾が酒びたしです」

 「構わん。液体は原子密度の低い固体に染みこむものだ」

 大庭は一張羅の八丈(八丈島産の生地を使った絹織物)をいつも着ており、それが汚れて垢光りしているので、その坊主頭と相まって「光八丈」と呼ばれていた。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切...もっと読む

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コメント

kumabouroMM https://t.co/5b3VwJGYmv 今日更新のやつ、、、 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

maito0405 「窮理」と「実利」両方必要で、今なお議論すべき要素。まあ、大隈はせっかちすぎですが(笑) 約1ヶ月前 replyretweetfavorite